房 総 自由民権資料館 Digital Museum 創立27周年(1998年10月11日~) ![]() 資料館:〒296-0105 鴨川市成川1-1 郵送先:〒296-0104 鴨川市南小町 723 問合先: 090 - 6952 - 0481 メール: sakumako1@athena.ocn.ne.jp ※第2回「自由民権地域研究・顕彰活動賞」 (江村栄一記念会)を受賞いたしました。 賞状(佐久間耕治館長) ![]() 2023年3月5日 私学会館にて |
◎収蔵資料紹介「戊辰戦争と漢詩集」 ![]() 三宅虎太編『近世名家詩文(全3冊)』文会堂・柳心堂1877年8月出版↑ ※板垣退助(東山道先鋒総督府参謀)「咏史(えいし)」の初出本。 ![]() 木戸孝允(維新政府参与)「戊辰ノ作」(上掲「巻之上」)↑ ![]() 大久保利通(維新政府参与)「戊辰作」(上掲「巻之上」)↑ ![]() 勝安房(旧幕府陸軍総裁)「逸題」(上掲「巻之中」)↑ ※第七句に「東台戊辰天」という詩句が有り、1868年3月の江戸城明渡し交渉から5月の上野戦争にかけての作と推定。追懐詩の可能性もある。詩型は五言律詩(漢詩集)と五言排律(全集)の二種類ある。 ![]() 前参議と前東京府知事連名の「民撰議院設立之建言」(上掲「巻之下」)↑ ![]() 上條螘司編『明治回天集(全2冊)』青雲堂1880年11月出版↑ ・菱田海鷗「戊辰人日前一夕就縛将屠腹賦此自貽」(鳥羽・伏見の戦い) ・小松帯刀「戊辰作」(新政府参与、総裁局顧問、外国事務局判事) ・前原一誠「戊辰作」(長岡城の戦い) ・板垣退助「戊辰作」(甲州戦争➡米沢藩帰順➡会津戦争) ・近藤勇「甲斐途上作」(鳥羽・伏見の戦い➡甲州戦争) ・勝安芳「有感」(江戸開城➡上野戦争) ・玉虫佐太夫「賦示同志」(奥羽越列藩同盟) ・南摩綱紀「乱後客中作」、秋月胤永「寄奥平居正」(会津戦争) ・安部井政治「戊辰歳晩」(会津戦争➡箱館戦争) ・大鳥圭介「出五稜郭」(宇都宮城の戦い➡箱館戦争) 『平仄字典 新版』明治書院2013年 ↑ 『詩韻含英異同辨』松雲堂書店1982年 ※漢詩の平仄学習に関する基本図書 ※収蔵資料の解説は下欄「象の耳・象の鼻」を御覧ください。 |
【交通アクセス】 ①館山自動車道・鋸南保田インターから約30分 (インター→長狭街道→主基交差点南入) ②東京駅八重洲口バス鴨川直行便(1時間1本) ![]() ※JR鴨川駅東口からバス15分 → 主基駅 徒歩約5分 |
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元祖 みんけん BLOG 【象の耳・象の鼻】2025年10月1日 《掲示板》 ◎10月の行事 ※9月24日(水):西郷南洲忌(満49歳、没後148年) 10月 7日(火):Digital Museum 開設27周年 :橋本景岳忌(満25歳、安政大獄) 10月27日(月):吉田松陰忌(満29歳、安政大獄) ◎みんけん林園 ♣野菜:枝豆(収穫)、オクラ(収穫)。 ❤果樹:富有柿(収穫)、甘夏(緑葉)、柚子(緑葉)、柘榴(収穫)、栗(収穫)、枇杷(緑葉)、金柑(緑葉)、パール柑(緑葉)。 ♠樹木:楠(緑葉)、樫(常緑)、榎(緑葉)、橡(緑葉)、楓(緑葉)、檜(常緑)、椿(常緑)、山茶花(常緑)、檜葉=アスナロ(常緑)、岩躑躅(落葉)、高野槙(緑葉)、南天(常緑)、百日紅(落花)、辛夷(落葉)、金木犀(開花)、榊(常緑)、朴木(緑葉)、柏(緑葉)、山桜(緑葉)、山茱萸(緑葉)、チャノキ(緑葉)、モチノキ(常緑)、シュロ(常緑)、ソテツ(常緑)。 ♦竹林(孟宗竹) ◎異常気象・災害・感染症 ▼。 ◎みんけん館寄贈寄託資料・連絡通信コーナー □仏具「桜井(吉川)静ゆかりの人物御位牌」(関係者御子孫から寄贈2025年3月) □冊子『要覧』(高知市立自由民権記念館2025年6月) □雑誌『文学と教育№233』(文学教育研究者集団2025年7月31日) □通信『福島自由民権大学通信36号』(福島自由民権大学事務局2025年9月21日) □会誌『秩父№228』(秩父事件研究顕彰協議会2025年9月)※宮下沢五郎の墓碑。 ☘戊辰戦争と漢詩集 ‐みんけん詩話‐ ★9月は木戸孝允(準一郎)の漢詩「戊辰ノ作」を鑑賞しました。10月は維新三傑(さんけつ)であった西郷隆盛(吉之助)の七言絶句を鑑賞しましょう。薩摩藩家老の小松帯刀(たてわき)の「戊辰作」は後日鑑賞の予定です。 ★大久保利通(一蔵)と木戸孝允は「戊辰作」という七言絶句を残していますが、西郷隆盛(吉之助)には「戊辰作」という漢詩は残っていません。大久保、木戸、西郷の代表的な漢詩の初出本は、1876(明治9)年発行の『近世詩史(上)(下)』です。今月は同書収載の「送兵士之東京」を鑑賞しましょう。 ★「送兵士之東京」の創作年は、『詳説西郷隆盛年譜』(西郷南洲顕彰会1992年)に記載されています。「戊辰戦争」の終結から2年後の1871年7月に「廃藩置県」が断行されました。同年の3月~4月頃の創作としています。「親兵(しんぺい)」約5000人が、鹿児島から大挙して東京へ出兵した時の詩です。 □平仄 「送兵士東京之」 ※1871年作、別題に「送兵士東征」(『南洲先生遺墨集』)、「送藩兵為天子親兵赴闕下」(『大西郷全集』等)。 王家衰弱使人驚 ◎○○●●○韻 憂憤隕身千百兵 ○●●○○●韻 忠義凝成腸鉄石 ○●◎○○●● 為楹為礎築堅城 ◎○◎●●○韻 (太田真琴編『近世詩史(上巻)』1886年4月出版) ※平仄記号の○は平声、●は仄声、◎は両用(『平仄字典新版』明治書院2013年参照)。平起の七言絶句で韻は下平八庚(驚・兵・城)。二四不同(にしふどう)、二六対(にろくつい)、下三連(しもさんれん)不可(ふか)、四字目の弧平(こひょう)不可(ふか)の平仄規則が厳守されている。初出誌は上掲『近世詩史』で、直筆が残存する。 □訓読 「兵士(へいし)の東京(とうきょう)へ之(ゆ)くを送(おく)る」 王家(おうけ)の衰弱(すいじゃく)人(ひと)をして驚(おどろ)かしむ 憂憤(ゆうふん)身(み)を隕(おと)す千百(せんひゃく)の兵(へい) 忠義(ちゅうぎ)凝(こ)って成(な)る腸(はらわた)鉄石(てっせき) 楹(はしら)と為(な)り礎(いしずえ)と為(な)って堅城(けんじょう)を築(きず)け (『近世詩史』の訓点を踏襲) ※起句の「王家(おうけ)」は「おうか」とも読む(明治期の漢詩集)。承句の「隕(おと)す」に対しては「捐(す)つ」という異字の例がある(『大西郷全集第3巻』大西郷全集刊行会1927年等)。戊辰戦争の頃、島津忠義(ただよし)は薩摩藩の藩主であった。転句の「忠義(ちゅうぎ)」という詩語が人名の掛け言葉に解釈されたかも知れない。なぜ西郷が敢えてこのように表現したのか理解に苦しむ。結句の「築(きず)け」という命令口調の訓読も西郷の軍略家としての信条にそぐわない。「築かん」又は「築く」等、命令ではなく信念を吐露するような訓読例がある(明治期の漢詩集)。 □現代語訳 朝廷(ちょうてい)の勢力(せいりょく)が余(あま)りに衰(おとろ)えたので人々(ひとびと)は驚(おどろ)いている。 憂(うれ)うべき事態(じたい)に憤(いきどお)りを感(かん)じ、戊辰戦争(ぼしんせんそう)以来(いらい)多(おお)くの兵士(へいし)が命(いのち)を落(お)としてきた。 尊王討幕(そんのうとうばく)の志(こころざし)は今(いま)も鉄(てつ)か石(いし)のように堅(かた)い。 礎石(そせき)や支柱(しちゅう)に化(か)すこと覚悟(かくご)し、揺(ゆ)るぎない新政府(しんせいふ)を創(つく)り上(あ)げよう。 (当館館長訳) ※詩意については、戊辰戦争における薩摩藩の多数の戦死者と結びつけない解釈がある。私は西郷隆盛の「戊辰(ぼしん)の役(えき)戦死者を祭る文」(『西郷隆盛全集第四巻』大和書房1978年)の独特な死生観からすると、戦死者と結びつけて解釈した方が適切と考えている。 (以下続く) * * * * * ♦厭戦いろは歌留多 Anti-War Proverb Cards Ⅰ ♦続・厭戦いろは歌留多 Anti-War Proverb Cards Ⅱ * * * * * ☘俳諧歌仙「コロナ禍」「続コロナ禍」 ☘COVID-2019 新百人一首(対訳) ☘コロナ禍オッペケペー節 ☘みんけん落首(切りたくもあり切りたくもなし) ☘パンデミック連歌二百韻 (2025年10月) 【象の耳・象の鼻集成コーナー】 ★2025年BLOG②・★2025年BLOG・★2024年BLOG・★2023年ブログ② ・ ★2023年ブログ①・★2022年ブログ・★2021年ブログ・★2020年ブログ・★2019年ブログ・★2018年ブログ ・★2017年ブログ・★2016年ブログ②・★2016年ブログ①・★2015年ブログ②・★2015年ブログ①・★2014年ブログ②・★2014年ブログ①・★2013年ブログ・★2012年ブログ・★2011年ブログ・★2010年ブログ②・★2010年ブログ①・★2009年ブログ・★2008年以前 |