2024年

《みんけん館掲示板》

◎1月の行事
1月 4日(木):仕事始め
1月11日(木):秀峰忌(板倉中の妻の命日)
1月24日(水):秋水忌

◎みんけん林園 Self Sown Seed System, Experimental Farm
△収穫:里芋(並作)
△植付:
△花々:山茶花(桃)、水仙(白・黄)、菜の花(黄)

◎異常気象・災害・感染症
▼石川県能登半島周辺で震度7の大地震。

◎みんけん館寄贈寄託資料・連絡通信コーナー
□書籍『俳句500年 名句をよむ』(コールサック社2023年12月8日)
□会報『全国みんけん連ニュース№8』(全国自由民権研究顕彰連絡協議会2023年12月10日)
□冊子『思文閣古書資料目録第280号』(思文閣出版古書部2023年12月)



収蔵資料解説「漢詩と民権運動」

新年明けましておめでとうございます。昨年末に寄贈して頂いた『俳句500年 名句をよむ』からユニークな佳句を五句選んでみました。

・下々(げげ)も下々下々の下国(げこく)の涼しさよ       一茶
・寒からう痒(かゆ)からう人に逢ひたからう           子規
・凡(およ)そ天下に去来(きょらい)程の小さき墓に参りけり   虚子
・無数(むすう)蟻(あり)ゆく一つぐらゐは遁走(とんそう)せよ 楸邨
・銀行員等(ら)朝より蛍光(けいこう)す烏賊(いか)のごとく  兜太

幸徳秋水「辛亥歳朝偶成」1911年1月1日作
 獄裡泣居先妣喪
 ●●●○◎●韻
 何知四海入新陽
 ◎◎●●●○韻
 昨宵蕎麦今朝餅
 ●○○●○○●
 添得罪人愁緒長
 ○●●○○●韻
(中島及『幸徳秋水漢詩評釈』高知市民図書館1978年)

※記号の○は平声、●は仄声、◎は両用、起句の第二字が仄声なので仄起。韻は下平七陽(喪・陽・長)。二四不同、二六対、下三連不可、第四字の弧平不可の原則が厳守されている。

【訓読Ⅰ】
 獄裡(ごくり)に泣居(きゅうきょ)して妣(ひ)の喪(そう)を先(き)く
 何んぞ四海(しかい)の新陽(しんよう)に入るを知らんや
 昨宵(さくしょう)の蕎麦(そば)今朝の餅
 添え得たり罪人(ざいにん)愁緒(しゅうしょ)の長きを

※訓読は上掲『幸徳秋水漢詩評釈』(高知市民図書館1978年)と『幸徳秋水全集第8巻』(明治文献1972年)を参照。

【訓読Ⅱ】
 獄裡 泣きて先(なき)妣(はは)の喪(も)に居り
 何ぞ知らん 四海の新陽(しんねん)に入るを
 昨宵の蕎麦 今朝の餅
 添え得たり 罪人の愁緒長きを

※この訓読は、飛鳥井雅道編『近代日本思想大系13幸徳秋水集』382頁(筑摩書房1975年)に拠る。起句の「先」を「なき」と読み、承句の「新陽」を「しんねん」と読む。中島及の訓読とは異なっている。

【当館の現代口語風訓読】
 辛亥(しんがい)の歳(とし)の朝(あさ)偶成(ぐうせい)
 獄(ごく)の裡(うち)で泣いて居(い)る、妣(はは)の喪(も)が先(さき)になり
 何(なん)で知るだろうか、四海の新陽(しんよう)に入(はい)ったのを
 昨(きのう)の宵(よい)は蕎麦(そば)、今朝(けさ)は餅(もち)
 添(そ)えて得たのは、罪人(ざいにん)の愁緒(しゅうしょ)が長くなったこと

※現代風訓読は小川環樹『唐詩概説』の「唐詩の助字」を参照。起句の「妣」は幸徳の母。承句の「新陽」は新年(明治44年)、「四海」は四方の海、転じて世の中。転句の「蕎麦」は晦日蕎麦で、「餅」は元旦の雑煮か。結句の「罪人」は東京監獄の幸徳自身、「愁緒」は嘆き悲しむこと。母親の多治は1910(明治43)年11月28日に最後の面会をして、12月27日に病死した。秋水は翌1911(明治44)年1月24日に他界した(『幸徳秋水全集別巻二』)。

(以下続く)




《みんけん館掲示板》

◎2月の行事
2月 3日(土):節分
2月14日(水):耕雨忌(房総の民権家俳人、服部治左衛門の命日)
         穐(あき)の声銀河や墜(お)ちて砕け舞(まう)※耕雨吟
2月16日(金):確定申告(オンライン申請)準備

◎みんけん林園 Self Sown Seed System, Experimental Farm
△収穫:甘夏(並作)
△植付:ジャガイモ
△花々:水仙(白・黄)、菜の花(黄)、紅梅、白梅、空豆の花(白・紫)

◎異常気象・災害・感染症
▼石川県能登半島大地震、避難・停電・断水。

◎みんけん館寄贈寄託資料・連絡通信コーナー
□会誌『千葉史学第83号』(千葉歴史学会2023年11月)
□書籍『近現代と古儒学-織本東岳、山田喜之助、佐生磊研究ノート』(私家版2024年1月28日)
□通信『評論№229』(日本経済評論社2024年1月)
□会報『秩父№218』(秩父事件研究顕彰協議会2024年1月)※村竹茂市の墓碑
□会報『福島自由民権大学通信32号』(福島自由民権大学事務局2024年2月15日)



収蔵資料解説「漢詩と民権運動」

2月も幸徳秋水の漢詩を鑑賞してみましょう。先月と先々月は晩年の秋水の獄中詩を鑑賞しましたが、今月は青年期(三大事件建白と保安条例の頃)の五言絶句です。

幸徳秋水「此歳冬偶為遂客歸乗舟下濟河」1887年冬頃作
 前嶺逆風走
 ○●●◎●
 孤帆先水馳
 ○◎◎●韻
 哀吾歸路急
 ○○◎●●
 功業一遅々
 ○●●◎韻
(上掲『幸徳秋水の日記と書簡』未来社1954年、中島及『幸徳秋水漢詩評釈』高知市民図書館1978年)

※記号の○は平声、●は仄声、◎は平仄両用、起句の第二字が仄声なので仄起。韻は上平四支(馳・遅)。五言絶句の二四(にし)不同、下三連(しもさんれん・あさんれん)不可の原則が厳守されている。

【訓読Ⅰ】(明治前期風訓読)
「此(こ)の歳(とし)の冬(ふゆ)、偶(たまたま)遂客(ちっかく)と為(な)って帰(かえ)り、舟(ふね)に乗(の)って下(くだ)り河(かわ)を濟(わた)る」
 前嶺(ぜんれい)を風(かぜ)に逆(さか)らって走(はし)る
 孤帆(こはん)は水(みず)に先(さき)んじて馳(は)せる
 哀(あわ)れむべし吾(わ)が帰路(きろ)の急(きゅう)なるを
 功業(こうぎょう)一(いつ)に遅々(ちち)たり

※訓読は『幸徳秋水全集第8巻』(明治文献1972年)と『幸徳秋水全集第9巻』(明治文献1969年)を参照。「逐客(ちっかく)」は追い払われた者のこと、転じて1887年の「保安条例」による首都退去者か。

【訓読Ⅱ】(当館の現代口語風訓読)
 嶺(みね)の前(まえ)を風(かぜ)に逆(むか)って走(はし)る
 弧(ひとつ)の帆(ほかけぶね)は水(みず)よりも先(さき)に馳(か)ける
 吾(わ)が帰路(きろ)を急(いそ)ぐのは哀(かな)しいが
 功業(こうぎょう)は一(もっぱら)遅(のろ)い、遅(のろ)いもの
 
※現代風訓読に当たっては、上掲『唐詩概説』の「唐詩の助字」を参照。「嶺」は箱根の「函嶺」を指すか、「水」は淀川か、それとも「紀伊水道」か。「功業」は功績の著しい事業のことだが、当時の三大事件建白(言論集会の自由・地租軽減・外交失策の挽回)を指すのだろう。

(以下続く)



《みんけん館掲示板》

◎3月の行事
3月 3日(日):雛祭
3月20日(水):春分の日(墓参)
3月31日(日):自治体史研究会

◎みんけん林園 Self Sown Seed System, Experimental Farm
△収穫:甘夏(並作)
△植付:ジャガイモ
△花々:菜の花(黄)、紅梅、白梅、空豆の花(白・紫)

◎異常気象・災害・感染症
▼房総半島沿岸で群発地震発生(震度1~震度4)。

◎みんけん館寄贈寄託資料・連絡通信コーナー
□書籍『近現代と古儒学-織本東岳、山田喜之助、佐生磊研究ノート』(私家版2024年1月28日)
□会報『福島自由民権大学通信32号』(福島自由民権大学事務局2024年2月15日)



収蔵資料解説「漢詩と民権運動」

2月は幸徳秋水の若い頃(「三大事件建白」と「保安条例」前後)の五言絶句を鑑賞しました。3月は日露戦争期の反戦(非戦)漢詩を鑑賞してみましょう。

幸徳秋水「次大内青巒先生見寄韻三首」1904年9月25日※週刊平民新聞所載
 又聽家々慟哭頻
 ●◎○○●●韻
 哀々寡婦命如塵
 ○○●●●◎韻
 蕭條門巷日斜處
 ○○○●●○●
 如虎吏人催税臻
 ◎●●○○●韻
(中島及『幸徳秋水漢詩評釈』高知市民図書館1978年)

※記号の○は平声、●は仄声、◎は平仄両用、起句の第二字が仄声なので仄起。韻は上平十一真(頻・塵・臻)。七言絶句の二四不同(にしふどう)、二六対(にろくつい)、下三連(しもさんれん・あさんれん)不可(ふか)の原則が厳守されている。「々」、「如」が同字重出となっているが許容範囲だろう。

【訓読Ⅰ】(明治前期風訓読)
「大内青巒(せいらん)先生の寄(よ)せ見(られ)し韻に次(じ)す三首」
 又聴く家々に慟哭(どうこく)の頻(しき)りなるを
 哀々(あいあい)たる寡婦(かふ)の命は塵(ちり)の如し
 蕭条(しょうじょう)たる巷(ちまた)の門、日斜めなるの処
 虎の如き吏人(りにん)至(いた)って税を催(うなが)す

※訓読は上掲『幸徳秋水の漢詩評釈』を参照。大内青巒は仏教思想研究者で元東洋大学長。「次韻」は同韻、同字、同順で押韻すること。「寡婦」は戦争未亡人、「蕭条」はもの寂しい様子。

【訓読Ⅱ】(当館の現代口語風訓読)
 あの家(うち)もこの家(うち)も、又(また)慟哭(なきごえ)が頻(しき)りに聴(き)こえる
 哀(かな)しいか哀(かな)しいか寡婦(みぼうじん)、まるで命(いのち)が塵(ちり)の如(よう)ではないか
 巷(ちまた)の門(かど)は蕭条(ものさび)しく、日(ひ)は斜(なな)めにさす処(ところ)
 虎(とら)の如(よう)な吏人(やくにん)は至(いた)り、税(ぜい)を催(うなが)しているのだ。

※幸徳秋水には、この七言絶句と同じ趣旨の名文の論説「嗚呼増税!」(『週刊平民新聞第20号』1904年3月27日、無署名)がある。「多数の同胞は鋒鏑(ほうてき)に曝(さら)され、其(その)遺族は飢餓に泣き、商工(しょうこう)は萎靡(いび)し、物価は騰貴(とうき)し、労働者は業(なりわい)を失ひ・・・其(その)極(きわみ)多額の苛税(かぜい)となって、一般細民(さいみん)の血を涸(から)し」と論述されている(『幸徳秋水全集第五巻』明治文献1968年)。「鋒鏑」は日露戦争の兵器、「商工」は商業と工業、「苛税」は重い税、「細民」は貧乏な民衆のこと。

(以下続く)


《みんけん館掲示板》

◎4月の行事
4月14日(日):東行顕彰忌
4月19日(金):穀雨(筍掘り)

◎みんけん林園 Self Sown Seed System, Experimental Farm
△収穫:芹、蕗、ミツバ
△植付:南瓜、オクラ、葱、茄子
△花々:辛夷(白)・桜(白)・空豆の花(白・紫)、蒲公英(黄)、チューリップ(赤・桃・白)

◎異常気象・災害・感染症
▼台湾東部で大地震(マグニチュード7.7)
▼インドネシアのルアン山で大噴火(1万人超避難)
▼愛媛県、高知県で大地震(マグニチュード6.6)

◎みんけん館寄贈寄託資料・連絡通信コーナー
□抜刷『史苑211号』(立教大学史学会2024年2月)※特集、朝河寛一生誕150周年記念シンポジウム「戦争に向かう世界:1930年代と朝河寛一」
□会報『福島自由民権大学通信33号』(福島自由民権大学事務局2024年3月31日)
□会報『秩父№219』(秩父事件研究顕彰協議会2024年3月)※萩原勘次郎の墓碑
□通信『全国みんけん連ニュース№9(デジタル版)』(全国自由民権研究顕彰連絡協議会2024年4月1日)



収蔵資料解説「漢詩と民権運動」

3月は、日露戦争期の幸徳秋水の非戦漢詩(次韻)を一首鑑賞しました。4月は次韻の元(もと)になった大内青巒(おおうち・せいらん)の漢詩を鑑賞し、比較してみましょう。

大内青巒(退)「時事有感」1904年9月25日※週刊平民新聞に紹介
 旅順遼陽捷報

 ●●○○●●韻
 滿城狂気動紅

 ●○○●●○韻
 獨憐野老暗嗚咽
 ●○●●●◎●
 金鵄未來白骨

 ○●●◎●●韻
(『週刊平民新聞』第46号1904年9月25日発行)

※記号の○は平声、●は仄声、◎は平仄両用、起句の第二字が仄声なので仄起。韻は上平十一真(
)。七言絶句の二四不同(にしふどう)、二六対(にろくつい)、下三連(しもさんれん・あさんれん)不可(ふか)の基本原則が順守されている。

【当館訓読】(明治後期風訓読)
「時事(じじ)に感(かん)有(あ)り」
 旅順(りょじゅん)遼陽(りょうよう)捷報(しょうほう)頻(しき)りなり
 満城(まんじょう)の狂気(きょうき)紅塵(こうじん)を動(うご)かす
 独(ひと)り憐(あわ)れむ野老(やろう)暗(くら)き嗚咽(おえつ)
 金鵄(きんし)未(いま)だ来(きた)らず白骨(はっこつ)至(いた)る

※起句の「旅順」(リューシュン)と「遼陽」(リャオヤン)は日露戦争の激戦地で、「捷報」は勝報と同じ意味。承句の「紅塵」は市街地の土ぼこりのことで、転句の「野老」は田舎の年老いた男。結句の「金鵄」は軍人の勲章、「白骨」は出征した日本人兵士の遺骨と思われる。

※幸徳秋水の「次韻」の平仄(3月の「収蔵資料解説」参照)
 又聽家々慟哭

 ●◎○○●●韻
 哀々寡婦命如

 ○○●●●◎韻
 蕭條門巷日斜處
 ○○○●●○●
 如虎吏人催税

 ◎●●○○●韻


(以下続く)



《みんけん館掲示板》

◎5月の行事
5月 3日(金):憲法記念日
5月 7日(火):井上幹顕彰忌
5月20日(月):君塚省三顕彰忌

◎みんけん林園 Self Sown Seed System, Experimental Farm
△収穫:空豆、蕗、ミツバ、パクチー、馬鈴薯、青梅
△植付:南瓜、オクラ、葱、茄子、胡瓜、赤紫蘇、里芋 ※南瓜とオクラの発芽が順調。
△花々:蒲公英(黄)、チューリップ(赤・桃・白・黄)、ジャガイモの花(紫・黄・白)、パクチーの花(白)
△狩猟鳥獣:キョン、タヌキ、ハクビシン

◎異常気象・災害・感染症
▼パナマ運河で深刻な水不足(干害)
▼南陽市で広域山火事

◎みんけん館寄贈寄託資料・連絡通信コーナー
□抜刷『史苑211号』(立教大学史学会2024年2月)※特集、朝河寛一生誕150周年記念シンポジウム「戦争に向かう世界:1930年代と朝河寛一」
□通信『自由のともしび(自由民権記念館だよりVOL96)』(高知市立自由民権記念館2024年3月31日)
□書籍『四街道市の歴史 資料編近現代2』(四街道市2024年3月)
□紀要『自由民権37』(町田市立自由民権資料館2024年3月)
□会報『秩父№220』(秩父事件研究顕彰協議会2024年5月)※井出為吉の墓碑
□チラシ「自由民権150年記念講座 板垣退助(全5回)」(高知市立自由民権記念館2024年6月1日、7月6日、8月3日、9月7日、10月5日)



収蔵資料解説「漢詩と民権運動」

3月の民権BLOGでは、『週刊平民新聞』の無署名の論説「嗚呼増税」を紹介しました。この論説の執筆者について、堺利彦は次のように書いています。

かくて平民社は、なお戦時中の非戦運動を続けていたが、平民新聞第二〇号(三月二七日)の「ああ増税」と題する社説が初めて裁判事件を起こした。実際の執筆者は幸徳であったが、発行兼編集人として堺が軽禁固二ヵ月の判決を受けた。
(上掲『堺利彦全集第六巻』197頁)

幸徳秋水は「次韻(じいん)」の名手(めいしゅ)でした。中江兆民の七言絶句に次したものが有名です(『兆民先生・兆民先生行状記』岩波文庫)。5月は大内青巒(せいらん)の七言絶句に次した幸徳の非戦漢詩「次韻第一首」を鑑賞しましょう。

幸徳秋水「次韻第一首」1904(明治37)年9月25日※週刊平民新聞に紹介
 忽遇秋來涙落

 ○●○◎●●韻
 爲誰重掃鏡奩

 ◎○◎●●○韻
 新郎一去無消息
 ○○●◎○○●
 愁見弧鴻自北

 ○●○○●●韻
(『週刊平民新聞』第46号1904年9月25日発行、上掲『幸徳秋水全集第八巻』)

※記号の○は平声、●は仄声、◎は平仄両用、起句の第二字が仄声なので仄起。韻は上平十一真(
)。七言絶句の二四不同(にしふどう)、二六対(にろくつい)、下三連(しもさんれん・あさんれん)不可(ふか)の基本原則が厳守されている。

【訓読】
 忽(たちま)ち秋(あき)の来(きた)るに遇(あ)いて涙(なみだ)落(お)つること頻(しき)りなり
 誰(た)が為(た)めに重(かさ)ねて鏡奩(きょうれん)の塵(ちり)を掃(はら)わんとするや
 新郎(しんろう)一(ひとたび)去(さ)って消息(しょうそく)無(な)し
 愁(うれ)え見(み)る弧鴻(ここう)の北(きた)自(より)至(いた)るを
(『幸徳秋水全集第八巻』参照)

※起句の「秋」は日露開戦後の1904年9月頃である。承句の「鏡奩(きょうれん)」は、新婦が鏡を入れておく箱である。転句の「新郎」は結婚した後、直ぐに出征した若き兵士であるだろう。結句の「孤鴻(ここう)」は、群れを離れて飛ぶ一羽(いちわ)の雁(かり)である。

※幸徳秋水の非戦漢詩「次韻第三首」の平仄(3月の「収蔵資料解説」参照)
 又聽家々慟哭

 ●◎○○●●韻
 哀々寡婦命如

 ○○●●●◎韻
 蕭條門巷日斜處
 ○○○●●○●
 如虎吏人催税

 ◎●●○○●韻


(以下続く)



《みんけん館掲示板》

◎6月の行事
6月15日(土):梅干し漬け込み
6月19日(水):房総自由民権資料館(リアル)創立記念日

◎みんけん林園 Self Sown Seed System, Experimental Farm
△収穫:パクチー、馬鈴薯、青梅、ホウレン草、サニーレタス、青紫蘇
△植付:茄子、胡瓜、大豆、薩摩芋
△花々:ジャガイモの花(紫・黄・白)、パクチーの花(白)、南瓜の花(黄)、クローバーの花(白)、向日葵(黄)、紫陽花(白・青・紫)
△狩猟鳥獣:キョン、タヌキ、ハクビシン

◎異常気象・災害・感染症
▼ギリシャで記録的猛暑、熱波
▼米国ニューメキシコ州で広域山火事

◎みんけん館寄贈寄託資料・連絡通信コーナー
□会報『千葉史学第84号』(千葉歴史学会2024年5月19日)
□会報『秩父№220』(秩父事件研究顕彰協議会2024年5月)※井出為吉の墓碑
□冊子『和の史 思文閣古書資料目録第281号』(思文閣出版古書部2024年5月)
□チラシ「自由民権150年記念講座 板垣退助(全5回)」(高知市立自由民権記念館2024年6月1日、7月6日、8月3日、9月7日、10月5日)



収蔵資料解説「漢詩と民権運動」

5月の民権BLOGでは、平民社時代の幸徳秋水の非戦漢詩「次韻第一首」を鑑賞しました。同志の堺利彦は「非戦」の論点について、週刊『平民新聞』に次のように書いています。

日露戦争起こるに及び、これらの諸新聞はいっせいに起こって大武装をなし、軽佻なる国自慢と浅薄なる排外心とを鼓吹し、軍人にこび、政府にこび、国家にこび、あらゆる方法手段をもって人心の弱点に投じ、増税も可なり、募債も可なり、ねこもしゃくしも一致ならざるべからずとおだてあげ(後略)。
(上掲『堺利彦全集第三巻』1970年9月、「新聞紙の堕落」40頁)

6月は幸徳の非戦漢詩「次韻第二首」を鑑賞しましょう。

次韻第二首
 千里月明鼓角

 ○●●○●●韻
 今年又是老邊

 ○○●●●○韻
 雙親臥病妻兒餓
 ○◎●●◎○●
 愁殺寒衣待不

 ○●○◎●◎韻
(『幸徳秋水全集第八巻』)

※○の記号は平声、●は仄声、◎は平仄両用。韻は上平十一真(頻・塵・臻)。平仄の「二四不同」、「二六対」、「下三連不可」の原則は厳守されている。しかし「第四字弧平不可」の原則を珍しく踏み外している。起句の第四字「明○」は弧平である。「鼓角●●」を「軍鼓○●」にすれば「弧平不可」の原則を順守できたのではないかと考える。

明治後期風の訓読
 千里(せんり)の月明(げつめい)鼓角(こかく)頻(しき)りなり
 今年(ことし)又(また)是(ここ)辺塵(へんじん)に老(お)いる
 双親(そうしん)病(やまい)に臥(ふ)し妻兒(さいじ)餓(う)える
 愁殺(しゅうさつ)す、寒衣(かんい)待(ま)てど至(いた)らざれば
(上掲『幸徳秋水全集第八巻』参照)

※起句の「鼓角」は陣中のつづみとつのぶえ。承句の「辺塵」は辺境の争いのことで日露戦争の戦地を指す。転句の「双親」は父母、「妻兒」は妻と子供。結句の「愁殺」の「殺」は意味を強める語としてよく使われ、語意は非常に憂え悲しむこと。「寒衣」は戦場の冬着のことである。

※幸徳秋水「次韻第一首」の平仄(5月の「収蔵資料解説」参照)
 忽遇秋來涙落

 ○●○◎●●韻
 爲誰重掃鏡奩

 ◎○◎●●○韻
 新郎一去無消息
 ○○●◎○○●
 愁見弧鴻自北

 ○●○○●●韻

※幸徳秋水の非戦漢詩「次韻第三首」の平仄(3月の「収蔵資料解説」参照)
 又聽家々慟哭

 ●◎○○●●韻
 哀々寡婦命如

 ○○●●●◎韻
 蕭條門巷日斜處
 ○○○●●○●
 如虎吏人催税

 ◎●●○○●韻


(以下続く)



《みんけん館掲示板》

◎7月の行事
7月11日(木):象山忌(1864年他界)
7月15日(月):「房総みんけん館通信」第23号印刷作業

◎みんけん林園 Self Sown Seed System, Experimental Farm
△収穫:サニーレタス、青紫蘇、胡瓜、南瓜、オクラ、西瓜
△植付:大豆、薩摩芋
△花々:パクチーの花(白)、南瓜の花(黄)、向日葵(黄)、オクラの花(薄黄)、西瓜の花(白)、茄子の花(紫)、胡瓜の花(黄)、
△狩猟鳥獣:キョン、タヌキ、ハクビシン

◎異常気象・災害・感染症
▼ブラジルで火災多数発生(史上最多)
▼静岡県で気温40℃越え、全国各地で35℃越え
▼7月23日に全国の40都道府県で熱中症警戒アラート、当日の最高気温は千葉県市原市の39℃(災害級)。
▼山形県の最上川流域で大雨洪水。

◎みんけん館寄贈寄託資料・連絡通信コーナー
□会誌『千葉史学第84号』(千葉歴史学会2024年5月19日)
□通信『評論№230』(日本経済評論社2024年5月31日)
□冊子『2024年第59回明治古典会 七夕古書大入札会』(明治古典会2024年7月1日)
□冊子『思文閣古書資料目録』(思文閣出版古書部2024年7月)
□会報『秩父№221』(秩父事件研究顕彰協議会(2024年7月)※「彦久保次郎吉の墓碑」の写真と文
□チラシ「自由民権150年記念講座 板垣退助(全5回)」(高知市立自由民権記念館2024年6月1日、7月6日、8月3日、9月7日、10月5日)



収蔵資料解説「漢詩と民権運動」

6月の民権BLOGでは、幸徳秋水の非戦漢詩「次韻第二首」を鑑賞しました。優れた「次韻」は漢詩の妙味と言えます。

7月からは中江兆民の「原詩(病中七言絶句)」と幸徳秋水の「次韻三首」を鑑賞しましょう。秋水は「次韻」の名手であったと思います。

中江兆民「病中二首」の七言絶句
 西風終夜圧庭

 ○◎○●●◎韻
 落葉撲窓似客

 ●●●○●●韻
 夢覚尋思時一笑
 ◎●○◎○●●
 病魔雖有兆民

 ●○○●●○韻
(『兆民先生』博文館1902年、『兆民先生・兆民先生行状記』岩波文庫1960年、『幸徳秋水全集第八巻』明治文献1972年参照)

※○の記号は平声、●は仄声、◎は平仄両用。韻は上平七虞(区・呼・無)。平仄の「二四不同」、「二六対」、「下三連不可」の原則は順守されている。兆民は承句で「第四字弧平不可」の原則を踏み外しているように見える。承句の「撲●窓○似●」の「窓(活字)」は明らかに弧平である。しかし「窓」には仄声の異体字「牗●」、「牖●」等が有るので、不規則にはならないと思う(『角川新字源』、『詩韻含英異同辨』)。

当館の訓読(現代口語風)
 西風(せいふう)は終夜(しゅうや)庭区(ていく)を圧(あっ)する
 落葉(らくよう)は牗(まど)を撲(う)ってお客が呼(よ)ぶのに似(に)ている
 夢(ゆめ)から覚(さ)め尋思(じんし)し、時(とき)には一笑(いっしょう)する
 病魔(びょうま)は有(あ)ると雖(いえど)も兆民(ちょうみん)は無(む)となるだろう

※明治後期風の訓読については、岩波文庫『兆民先生・兆民先生行状記』のルビを参照されたい。最近気付いたのだが、幸徳秋水の原著には訓読が付記されていない。起句の「西風」は「あきかぜ」とも読む。「終夜」は一晩じゅう、「庭区」は庭内、庭先である。承句の「撲●」は「打●」と同義。転句の「尋思」は深く考えることであるが、「一笑」は軽く笑うこと。結句の「兆民」は多くの人民大衆の意味であり、中江篤介自身の雅号を指すだろう。

(以下続く)


《みんけん館掲示板》

◎8月の行事
8月 1日(木):梅干し天日干し作業
8月 3日(土):浩鳴忌(佐久間吉太郎顕彰忌)
8月 4日(日):ズーム研究会(県内自治体史)
8月15日(木):終戦記念日(79周年)
        :「房総みんけん館通信」第23号投函

◎みんけん林園 Self Sown Seed System, Experimental Farm
△収穫:茄子、青紫蘇、オクラ、西瓜
△植付:
△花々:向日葵(黄)、オクラの花(薄黄)、百合(白)、百日紅(赤)、夾竹桃(赤)
△狩猟鳥獣:キョン、タヌキ、ハクビシン

◎異常気象・災害・感染症
▼南海トラフ「巨大地震注意」 ※鴨川市予測(津波8m到達39分)
▼台風5号岩手県に上陸、久慈市で記録的豪雨(24時間で368.5mm)
▼非常に強い台風7号(950㍱~940㍱)が房総半島沖を通過
▼熊本県天草市の「轟(とどろき)の滝」周辺で原因不明の集団感染症発生

◎みんけん館寄贈寄託資料・連絡通信コーナー
□抜き刷り『日記に見る大正初期の中学生の生活』(2024年3月31日)
□冊子『高知市立自由民権記念館紀要№28』(高知市立自由民権記念館2024年3月)
□会報『日記ろまん第83号』(女性の日記から学ぶ会2024年5月22日)
□冊子『要覧 2023年度』(高知市立自由民権記念館2024年6月)
□冊子『思文閣古書資料目録』(思文閣出版古書部2024年7月)
□会報『秩父№221』(秩父事件研究顕彰協議会(2024年7月)※「彦久保次郎吉の墓碑」の写真と文
□チラシ「自由民権150年記念講座 板垣退助(全5回)」(高知市立自由民権記念館2024年6月1日、7月6日、8月3日、9月7日、10月5日)



収蔵資料解説「漢詩と民権運動」

7月の民権BLOGでは、中江兆民の「病中七言絶句」を鑑賞しました。秋水の同志であった堺利彦は、「『兆民先生』を読む」において次のように書いています。

この一小著、もとより広く兆民先生の人物才識の全幅を示すには足らぬ、ただ、兆民先生の胸の底なる深き井(い)と秋水君の胸の底なる深き井(い)と、幾条の水脈相通じて、交感融合していることを示すものである。
(『万朝報』1902年6月6日、『堺利彦全集第1巻』中央公論社非売品1933年、『堺利彦全集第1巻』法律文化社1971年)

8月は幸徳秋水の「次韻三首」を鑑賞しましょう。

「次兆民先生病中見示韻」
 卅年罵倒此塵

 ●○●●●○韻
 生死岸頭仍大

 ○●●○○●韻
 意気文章留万古
 ●●○○◎●●
 自今誰道兆民

 ●○○●●○韻
(『兆民先生』博文館1902年、『兆民先生・兆民先生行状記』岩波文庫1960年、『幸徳秋水全集第八巻』明治文献1972年参照)

※○の記号は平声、●は仄声、◎は平仄両用。韻は上平七虞(区・呼・無)。平仄の「二四不同」、「二六対」、「下三連不可」、「第四字弧平不可」の基本原則が順守されている。結句の平仄は兆民の原詩の結句(●○○●●○韻)とまったく同一である。

当館の訓読(現代口語風)
 「兆民先生が病中に示された韻(いん)に次(じ)す」
 三十年も罵倒(ばとう)した此(こ)の塵区(じんく)で
 生死の岸頭(がんとう)にあっても仍(なお)大呼(たいこ)する
 意気(いき)の文章は万古(ばんこ)に留(とど)まる
 今(いま)自(より)は誰もが道(い)うだろう、兆民は無(な)くなったのだと

※明治後期風の訓読については、『兆民先生・兆民先生行状記』(岩波文庫1960年)と中島久『幸徳秋水漢詩評釈』(高知市民図書館1978年)を参照されたい。秋水の原著には訓読が付記されていない。
※起句の「塵区」は「塵衢(じんく)」と同義でゴミやチリで汚れた俗世間のことだろう。承句の「岸頭」は岸辺、「大呼」は大声を出すこと、土佐人の気風である。転句の「意気」は心意気、「万古」は永遠である。結句の「道(い)う」は漢詩ではよく使われる詩語で、「言う」に通じ述べることである。

(以下続く)



《みんけん館掲示板》

◎9月の行事
9月 2日(月):原亀太郎(かめたろう)忌
        :梁川星巌忌
9月24日(火):西郷南洲忌

◎みんけん林園 Self Sown Seed System, Experimental Farm
△収穫:茄子、胡瓜、唐辛子
△植付:
△花々:百日紅、芙蓉
△狩猟鳥獣:

◎異常気象・災害・感染症
▼非常に強い台風10号がノロノロと迷走、日本列島各地(鹿児島県~北海道)で暴風と突風、大雨と氾濫、ゲリラ雷雨、土砂崩れ等の広域被害。
▼非常に強い台風11号(スーパー台風)が南シナ海で発達、中国とベトナムで大きな被害。
▼ドナウ川流域(オーストリア・チェコスロバキア・ルーマニア等)で記録的な洪水被害。
▼地震被災地の能登半島に大雨特別警報、線状降水帯による洪水被害。

◎みんけん館寄贈寄託資料・連絡通信コーナー
□パンフレット『海をまとう-万祝染-』(千葉県立中央博物館2024年3月15日)
□図録『万祝博覧会』(千葉県立中央博物館2024年7月27日)
□通信『自由のともしび(自由民権記念館だよりVOL97)』(2024年9月1日)
□チラシ「自由民権150年記念講座 板垣退助(全5回)」(高知市立自由民権記念館2024年6月1日、7月6日、8月3日、9月7日、10月5日)



収蔵資料解説「漢詩と民権運動」

政権政党の総裁選が花盛りです。候補者9名の乱戦模様は、大変身の前夜か、それとも大分裂の前夜か。派閥の「学級崩壊」、推薦人の「紆余曲折」、宣伝文句の「有備無患」(サナエあればうれいなし)と報道されています。

猛暑の折り、久し振りに浮かんだパロディー「四字熟語」は、「九牛一毛」と「一網打尽」を重ねた「①九牛一網(きゅうぎゅういちもう)」。「支離滅裂」と「私利私欲」を重ねた「②私利滅裂(しりめつれつ)」、或いは「③支持滅裂(しじめつれつ)」。

老若男女の乱立模様については、「深謀遠慮」と「辛抱立役」を捩(もじ)った「④深謀立役(しんぼうたちやく)」。「新進気鋭」と「人心収攬」を繋(つな)げた「⑤新進収攬(しんしんしゅうらん)」。

更に浮かんだパロディー熟語は、「悪事千里」と「千里同風」を捩った「⑥悪事同風(あくじどうふう)」、そして「悪事千里」と「一望千里」を組合わせた「⑦悪事一望(あくじいちぼう)」。

大地震と津波、台風と洪水についてのパロディー「四字熟語」は、「異常気象」と「気候変動」を繋いだ「⑧異常変動(いじょうへんどう)」。「天変地異」と「有為転変」を捩った「⑨地異転変(ちいてんぺん)」、或いは「⑩転変地位(てんぺんちい)」。「地球沸騰」と「議論沸騰」を重ね合わせれば「⑪議論地球(ぎろんちきゅう)」。

勝ち残るであろう「次期総理」のパロディー熟語は、「満身創痍」を捩り「⑫慢心相違(まんしんそうい)」。或いは「創意工夫」を捩り「⑬総意駆風(そういくふう)」。更には「僧位僧官」を捩り、旭日の「⑭争位争官(そういそうかん)」、又は落日の「⑮総理喪官(そうりそうかん)」です。

8月中は、皆様から残暑お見舞いの葉書や封書を多数頂戴いたしました。差支えの無い範囲で抄録し、紹介させて頂きます(順不同・匿名)。九州の太宰府市では、猛暑日(35℃超)がとうとう「連続40日」(合計は62日)となり、観測史上の新記録となりました。

▶毎日暑い日が続いており、クーラー漬けで体に良いわけがないと思いながら過ごしています。
(男性・東京都)

この施設に入って良かったことは、80歳になってまだ若造扱いされていることです。加齢による頭と体の劣化は覆うべくもありません。
(男性・千葉県)

▶令和6年の夏は今迄にない酷暑、勝山(かつやま)の海にサンゴが大繁茂している映像を見て背筋が冷えました。
(女性・千葉県)※「勝山」は安房郡鋸南町。

▶大腿二頭筋を痛めまして、もうダメかなと思いましたが、人生で初めて針灸(しんきゅう)の治療を受けました。
(男性・千葉県)

▶手術を受け、今次(こんじ)食餌(しょくじ)に意を注ぎながら日を送っております。時々漢詩を作っています。
(男性・千葉県)

▶秋水(しゅうすい)の「非戦」漢詩を有難うございました。解説を読んでいたら、汗が引きました。秋水の漢詩は読んだことがなく、刺激を受けました。
(男性・埼玉県)

▶蝉がミンミン大榎、お日様ジリジリ入道雲、つひの住処は九十九里、潮騒聞きつつまどろみぬ。
(男性・千葉県)

▶現在も格差社会を身をもって感じ、目の前の一人でも、まず経済的に自立できるよう取り組む日々です。
(男性・千葉県)

▶当方、超老人、後期高齢者、コロナや暑さで外出もままならず、家の前を散歩しております。
(女性・東京都)

▶大型台風が来るとの予報でしたので、家の周りの片付けをしたり大変でしたが、被害は有りませんでした。
(男性・千葉県)

▶記録的猛暑の中、我慢して生活、やっとエアコンの有る場所へ移転、仕事が楽になりました。
(男性・千葉県)

▶6月上旬より痛風(つうふう)になり、右足の親指の付け根が腫(は)れ、歩けません。やっとサンダルが履けるまでになりました。
(男性・東京都)

▶自然を書きながら校歌の歌詞を見比べています。自然の美しさが織り込められた校歌、自然がたたえられいつまでも守られることを祈る毎日です。
(女性・千葉県)


▶この度、富士山頂にて、修験(しゅげん)のように法螺(ほら)ラッパを吹くチャレンジを予定して、台風で断念しました。
(男性・千葉県)

▶秋水の漢詩、普段読むことはまず有りませんので興味深く拝見しました。平仄(ひょうそく)は不勉強のままですので訓読に目が向きます。
(男性・千葉県)

猛暑に台風、そして線状降水帯による大雨に地震と、狭い日本列島、今後どうなって行くのでしょうか。
(男性・東京都)

(以下続く)



《みんけん館掲示板》

◎10月の行事
10月 6日(日):ズーム研究会(県内自治体史)
10月 7日(月):橋本左内忌(安政大獄)
         :頼三樹三郎忌( 〃 )
10月27日(日):吉田松陰忌( 〃 )

◎みんけん林園 Self Sown Seed System, Experimental Farm
△収穫:
△植付:

◎異常気象・災害・感染症
▼米国ノースカロライナ州で超巨大ハリケーン(へリーン)による水害、死者200人超。フロリダ州でも超巨大ハリケーン(ミルトン)による竜巻・洪水被害。
▼アマゾン川流域で大干ばつ。

◎みんけん館寄贈寄託資料・連絡通信コーナー
□図録『万祝博覧会』(千葉県立中央博物館2024年7月27日)
□会報『福島自由民権大学34号』(福島自由民権大学事務局2024年9月20日)
□広報誌『いのはなハーモニー第72号』(千葉大学医学部付属病院2024年9月30日)※特集 千葉大学医学部・病院150年物語
□会報『秩父№222』(秩父事件研究顕彰協議会2024年9月)※門松庄右衛門の墓碑
□チラシ「自由民権150年記念講座 板垣退助(全5回)」(高知市立自由民権記念館2024年6月1日、7月6日、8月3日、9月7日、10月5日)
□チラシ「自由民権150年の開幕を土佐から」(全国自由民権研究顕彰連絡協議会2024年10月19日、20日)



収蔵資料解説「漢詩と民権運動」

今年の3月、4月、5月、6月は、幸徳秋水の1904(明治37)年の非戦漢詩を鑑賞しました。10月からは、その対極に位置すると思われる乃木希典(のぎ・まれすけ)の1904(明治37)年の陣中漢詩(次韻)を、非戦漢詩(次韻)と対比しながら検討しましょう。

漢詩の「次韻」とは何か。小川環樹・西田太一郎・赤塚忠編『角川新字源』(改訂新版)は、「次韻」を「他人の詩と同じ韻字をその順序どおりに用いて詩を作ること」と簡潔
に定義しています。「同韻」、「同字」、「同順」による詩作です。

乃木希典の「次韻」(1904年12月7日)
   一二三四五六七
起句 有死無生何足

   ●●○○◎●韻
承句 千年不朽表忠

   ○○◎●●○韻
転句 皇軍十萬誰英傑
   ○○●●○○●
結句 驚世功名是此

   ○●○○●●韻
(志賀重昂『大役小志』博文館1909年所載の手稿図版参照)

※記号の〇は平声、●は仄声、◎は両用。起句の二字目が仄声なので仄起の七言絶句、韻は上平四支(悲・碑・時)。平仄は「二四不同(にしふどう)」、「二六対(にろくつい)」、「下三連(しもさんれん)不可」、「四字目弧平(よじめこひょう)不可」の原則を厳守していて不規則はない。

□訓読(明治後期風訓読)
 死(し)有って生(せい)無し何(なん)ぞ悲しむに足(た)らん
 千年(せんねん)朽(く)ちず表忠(ひょうちゅう)の碑(ひ)
 皇軍(こうぐん)十万(じゅうまん)誰(たれ)か英傑(えいけつ)
 世(よ)を驚かすの功名(こうみょう)是(こ)れ此(こ)の時(とき)
(山田竹三郎『乃木将軍詩集詳解』博文館1916年、高須芳次郎『乃木将軍詩歌物語』新潮社1938年、和田政雄『乃木希典日記』金園社1970年、司馬遼太郎『坂の上の雲』文藝春秋1971年「二〇三高地」、『乃木将軍詩歌集』日本工業新聞社1984年等を参照)

※起句の「有死無生」を、上掲『乃木将軍詩集詳解』は「死有り生無し」と訓読している。また「何足(是)悲」を「何(なん)ぞ是(こ)れ悲(かな)しまん」と訓読している。
 承句の「不朽(誰見)」を、上掲『坂の上の雲』は「誰(たれ)か見(み)ん」と訓読している。承句の「表忠碑」は、上掲『大役小志』所載の手稿反古(図版)では、「盡(じん)忠碑」となっている。
 転句の「誰英傑」は、『大役小志』では「幾(いく)英傑」となっている。この次韻は『乃木希典日記』に記載されていないので、上掲書の自筆反古(図版)を底本とせざるを得ないだろう。

児玉源太郎の原詩(1904年)
 得利寺邊天籟

 ●●●○○●韻
 歸鴉去後弔新

 ◎○●●●○韻
 千年恨事一朝露
 ○○●●●○●
 総在雄心落々

 ◎●○○●●韻
(上掲『大役小志』参照)

□訓読
 得利寺(とくりじ)の辺(あたり)天籟(てんらい)悲(かな)し
 帰鴉(きあ)去(さ)って後(のち)新碑(しんぴ)を弔(とむら)う
 十年(じゅうねん)の恨事(こんじ)一朝(いっちょう)の露(つゆ)
 総(すべ)て雄心(ゆうしん)の落々(らくらく)たる時(とき)に在(あ)り
(上掲『坂の上の雲』「二〇三高地」参照)

※司馬遼太郎『坂の上の雲』は承句の「後」を、「復(また)」と訓読し、結句の「総て」は、「跡(あと)」と訓読している。明治期屈指の漢詩人である乃木の「次韻」と同様に、児玉の「原詩」に平仄の不規則はない。彼らは詩作を職務後の憩いと考えていたのだと思う。上掲『乃木希典日記』には、乃木と児玉の「次韻」と「原詩」が、1877(明治10)年の西南戦争の頃から記録されている。不思議な友情が続いていたのである。

(以下続く)