2017年

《掲示板》

◎1月の行事
1月 1日(日):『民権館通信』第8号
1月 4日(水):仕事始め
1月11日(水):秀峯(板倉比左)顕彰忌
1月18日(水):川名七郎(南房総市自由党員)顕彰忌
1月31日(火):無農薬有機栽培大豆味噌仕込

◎1月の農園作業(無農薬有機・多品種小規模・循環持続・安心露地栽培)
☆収穫:菠薐草(平作)、青梗菜(平作)、大根(平作)
☆草取:玉葱畑、長葱畑、髙菜畑、青梗菜畑、菠薐草畑
☆植付:
☆花々:山茶花(紅)、薔薇(黄・紫・桃)、水仙(白・黄)、梅(白)

《民権館歳時記》


◎1月
☆明治の民権家で、漢詩や俳句の愛好家は数多くいます。房総最初の自由党員であった服部治左衛門(耕雨)は著名な豪農俳人で、月刊雑誌『俳諧評論』の主宰者でした。次のような飄逸な句を詠んでいます。

◎離別状を反古に丸めて新酒かな     (耕雨)
 サリジョウヲ ホゴニマルメテ シンシュカナ

☆旭市琴田の海宝寺山門には、服部耕雨・耕石父子の句碑が残っています。東庄町の農民民権家(自由党員)であった高木惣兵衛も著名な俳人でした。

☆夷隅郡の薫陶学舎で英学教師を勤めた村田峰次郎(看雨)は長州藩出身で多才な人でした。多数の歴史書・漢詩・短歌・俳句を残しています。次のようなユーモラスな(一茶風?)句を詠んでいます。

◎大名も乞食も同じ花見かな     (看雨)
 ダイミョウモ コジキモオナジ ハナミカナ
◎夕立もはれて蛙の座禅かな      ( 〃 )
 ユウダチモ ハレテカワズノ ザゼンカナ
◎わが世とて軒のへちまのひるねかな ( 〃 )
 ワガヨトテ ノキノヘチマノ ヒルネカナ

☆秩父事件の後、北海道に潜伏した井上伝蔵の俳句は大変有名ですが、北村透谷の多摩紀行「三日幻境」には、民権家の秋山国三郎(竜子)の佳句が記載されています。

◎ここに寝む花の吹雪に埋むまで   ( 竜子 )
 ココニネン ハナノフブキニ ウズムマデ

☆秋山国三郎の辞世は下記の句でした。

◎蓮の実や生まれた水に戻る音    ( 〃 )
 ハスノミヤ ウマレタミズニ モドルオト

☆東京湾の対岸の神奈川県にも民権家俳人は居りました。難波惣平(愛甲郡下荻野村)は、俳号を「永甫」と云い、次のような佳句が知られています。

◎雨ハいつはれて梢の春の月  (永甫)
 アメワイツ ハレテコズエノ ハルノツキ

☆大著『自由党史』の「第九編第五章保安条例」には、島本仲道(北洲)の佳句が二句記載されています。島本は土佐藩出身の士族民権家(自由党員)でした。

◎氷る夜の永き底しる鼾かな     (北洲)
 コオルヨノ ナガキソコシル イビキカナ
◎行く雁もささやきごえや磯の浪   ( 〃 )
 ユクカリモ ササヤキゴエヤ イソノナミ

☆1887(明治20)年12月下旬か、1888(明治21)年1月頃の吟ではないかと推測しています。「永き底しる」の句は、戦国武将の明智光秀の連句「時は今天が下しる五月哉」を想起させます。

☆本年も皆様の御教導を御願い申し上げます。

◇初凪や群船結ぶ大漁旗       (凡一旧句)
 ハツナギヤ グンセンムスブ タイリョウキ

(2017年1月)


《掲示板》

◎2月の行事
2月 3日(金):節分
2月 7日(火):確定申告税理士相談会
2月15日(水):無農薬有機栽培味噌仕込
2月19日(日):共同作業
2月26日(日):講習会

◎2月の農園作業(無農薬有機・多品種小規模・循環持続)
☆収穫:青梗菜(平作)、大根(平作)、葱(平作)
☆植付:馬鈴薯
☆花々:水仙(白・黃)、梅(白・紅)

《民権館歳時記》


☆近世や近代の俳人は、病中吟の秀句を数え切れない程詠んでいます。芭蕉は次のような名句を残しました。(英文はジェ-ン・ライクホールド訳)

◎病雁の夜さむに落て旅ね哉
 ビョウガンノ ヨサムニオチテ タビネカナ
 A sick goose
 Falling into the night's coldness
 Sleep on a journey.

◎旅に病で夢は枯野をかけ廻る
 タビニヤンデ ユメワカレノヲ カケメグル
 Ill on a journey
 Dreams in a witherd field
 Wander around.

☆「病雁」の句は1690(元禄3)年の吟です。「旅に病んで」の句は1694(元禄7)年の吟で、芭蕉の辞世と考えられています。

☆正月早々、胆石症の治療で市内の総合病院に1週間入院しました。病床では養生専一を心がけましたが、病中吟二句を得ることができました。

◇寒凪や手術の朝に絶食す         (凡一)
 カンナギヤ シュジュツノアサニ ゼッショクス
◇病臥する茜の窓の冷気かな        ( 〃 )
 ビョウガスル アカネノマドノ レイキカナ

☆退院してからは次のような拙句を詠みました。

◇隙間風妻が自讃の鰯漬け         ( 〃 )
 スキマカゼ ツマガジサンノ イワシヅケ
◇初雪も楠と樫との狭間にて        ( 〃 )
 ハツユキモ クストカシトノ ハザマニテ

☆「鰯漬け」は背黒鰯の酢漬けや卯の花漬けで、地(千)産地(千)消の料理です。「楠と樫」の句は拙宅周囲の風景です。全身麻酔の腹腔鏡手術のおかげで胆石痛が解消し医学の進歩を再認識しました。

(2017年2月)



《掲示板》

◎3月の行事
3月 5日(日):市長選投票日
3月12日(日):会議出席
3月18日(土):共同作業
3月20日(月):春分の日(墓参)
3月26日(日):知事選投票日
3月28日(火):資料調査

◎3月の農園作業(無農薬有機・多品種小規模・循環持続)
☆収穫:大根(平作)、葱(平作)、里芋(豊作)、タラの芽(平作)
☆採集:蕗の薹(野生)、芹(野生)、三つ葉(野生)、蓬(野生)
☆植付:馬鈴薯、小松菜、牛蒡、菠薐草、夏大根
☆花々:椿(白・紅)、蒲公英(黄)、桜(白・桃)、辛夷(白)、紫木蓮、白木蓮、プラム(白)

《民権館歳時記》


☆高知県出身の島本仲道(雅号は北洲)は、『夢路之記』という俳文(保安条例回想記)を書き残しています。俳句や短歌だけではなく、連句にも造詣が深かったようです。3月は同書の連句を紹介します。

◎香は香なり何所て咲いても梅の花   (逸朗)
 カワカナリ ドコデサイテモ ウメノハナ
◎破れし窓も風の和らき        (北洲)
 ヤブレシマドモ カゼノヤワラギ
(『明治文化全集・第五巻自由民権篇』日本評論社1927年493頁)

☆次のような連句も記載されています。

◎雪霜にたわまぬ松のみさほ哉     (佐久間某)
 ユキシモニ タワマヌマツノ ミサオカナ
◎朝日をうくる鷹の羽かへし      (北洲)
 アサヒヲウクル タカノハガエシ
(『明治文化全集・第五巻自由民権篇』日本評論社1927年496頁)

☆『夢路之記』に、「佐久間某」は「千葉の片里」の住人で、俳諧愛好家であると記述されています。

☆島本仲道は、坂崎紫瀾著『汗血千里の駒(坂本龍馬君之伝)』(岩波文庫2010年)に「島本審二郎」という名前で登場します。1863(文久3)年の土佐勤王党弾圧の時に投獄(終身禁錮)されました。

☆1883(明治16)年の『自由党員名簿』は、総理の板垣退助の隣りに島本仲道の氏名が記載されています。「東京府神田区中猿楽町拾七番地寄留高知県人 島本仲道」と印刷されています。

☆1887(明治20)年の保安条例施行の際には、約1年間東京を退去させられました。土佐の筋金入りの士族民権家であったと言えるでしょう。

☆『明治文化全集・自由民権篇』(初版は第五巻、改版では第二巻)所載の『夢路之記』解題は、大審院判事の尾佐竹猛(旧加賀藩出身)が執筆しています。島本仲道の不撓不屈の生涯を紹介しています。


(2017年3月)


《掲示板》

◎4月の行事
4月 2日(日):御予約(県内)
4月 5日(水):御予約(県内)
4月 8日(土):御予約(都内)
4月10日(月):御予約(県内)
4月15日(土):地域総会
4月23日(日):無添加味噌天地返
4月24日(月):資料調査(県内)

◎4月の農園(無農薬有機・多品種小規模・循環持続)
☆収穫:葱(平作)、タケノコ(豊作)、タラの芽(平作)
☆採集:蕗(野生)、芹(野生)、三つ葉(野生)、蓬(野生)
☆種蒔:胡瓜、南瓜、ゴーヤ、ズッキーニ
☆花々:蒲公英(黄)、桜(白・桃)、辛夷(白)、紫木蓮、白木蓮、プラム(白)、満天星(白)
☆鳥獣:雉、鵯、鶯、椋鳥、鼬、狸、頬白、燕

《民権館歳時記》


☆最近民権資料館の庭先に、雉(国鳥・雌雄異色)がしばしば飛来します。どうやら資料館南側の竹藪に棲み着いたようです。雉(一夫一婦・雑食)の鳴き声は独特です。

☆正岡子規には、1895(明治28)年に雉の鳴き声を詠んだ佳句があります。

◎雉鳴くや雲裂けて山あらはるゝ   (子規)
 キジナクヤ クモサケテヤマ アラワルル

☆松尾芭蕉は1690(元禄3)年に、次のような奇句を詠んでいます。

◎蛇食ふと聞けば恐ろし雉の声    (芭蕉)
 ヘビクウト キケバオソロシ キジノコエ

☆昨秋来、猪の子供(ウリボウ)や狸の子供が民権資料館の庭に現れます。人口密度が低下する地域では、鳥獣の縄張りが拡大するのでしょうか。先日副館長と一緒に、有害鳥獣の狩猟免許講習会に出席しました。


【展示書誌データ(追加)】

※凡例=①著者②著者標目③出版社④発行年月日⑤大きさ・容量⑥値段⑦本文抜粋☆解説◎引用文
(連載中)

Feudal Background of Japanese Politics(『日本政治の封建的背景』邦訳全集第2巻所収)
①E.Herbert.Norman
(邦訳全集第2巻の訳者は大窪愿二、オオクボ・ゲンジ)
②1909-1957
③Ninth Conference of the Institute of Pacific Relations
(岩波書店)
④January 1945
(1977年6月24日)
⑤135 
(464頁・19㎝)

(1800円)
⑦Actualy the democratic forces in Japan made a stouter bid to win civil liberties, representative institutions and a limited monarchy than is generally realised. The history of the struggle has been deliberately obscured and distorted by official Japanese historiography.
(実際に、日本の民主主義勢力は、市民的自由と代議制度と立憲君主政体とをかち取るために、一般に知られている以上に強靱にたたかったのである。この戦いの歴史は、日本の公的な史学によって故意にぼかされ、歪められてきた。)

☆英文資料は国会図書館所蔵である。「1954年1月10日」の受付印が押されている。いつもながら、複写申請については県立図書館と市立図書館の御尽力を賜わった。

☆Feudal Background of Japanese Politics(日本政治の封建的背景)は、『日本における近代国家の成立』(時事通信社1947年8月10日、大窪愿二訳)や『日本における兵士と農民』(白日書院1947年11月25日、陸井三郎訳)のように単行本として出版されたことはなかった。

☆太平洋戦争末期(1945年1月)に印刷された討議資料である。戦争終結後の占領と非軍国主義的統治を展望し、実際的で緊迫した叙述となっている。分析は驚く程洞察力に充ちている。

◎目次は以下の通りである。
CONTENTS
Ⅰ. LATE FEUDAL SOCIETY
(第1章、末期封建社会)
Ⅱ. THE POLITICS OF TRANSITION AND THE ROLE OF THE SAMURAI
(第2章、転換期の政治と武士階級の役割)
Ⅲ. THE SHIZOKU OPPOSITION, 1868-1879
(第3章、士族反対派)
Ⅳ. THE AUTOCRATIC STATE
(第4章、専制国家)
Ⅴ. GENYOSHA OF FUKUOKA
(第5章、福岡玄洋社)

☆Feudal Background of Japanese Politicsは、鈴木安蔵著『自由民権・憲法発布』(白揚社1939年)を引用し、次のように記述する。

◎The manifesto of the rebels, penned by Ueki Emori was at once an urgent apeal for justice and a closely reasoned indictment of the autocratic government of that time; it is described by the Japanese constitutional historian Suzuki Yasuzo as a classic document of the early Japanese democratic movement.
(植木枝盛が筆を取った叛乱者の檄文は、さし迫った正義の呼びかけであり、同時に時の専制政府に対する、しっかりと理論づけられた告発であった。日本の憲政史家鈴木安蔵はこの檄文を日本民主主義運動の古典といっている。)
(邦訳全集第二巻213頁)

☆1884(明治17)年12月の飯田事件の檄文である。ノーマンは日本の敗戦が必至という情勢を見据えながら、植木枝盛起草の檄文に現れた民権思想を非常に高く評価した。典拠の全文は大著『自由党史』(岩波文庫では下巻97頁~110頁)に掲載されている。

☆1940年代にはまだ『自由党史』の青木文庫版や岩波文庫版は出版されていないから、鈴木もノーマンも1910(明治43)年発行の原著(五車楼版)を参照したのだろう。確かにこの長大な檄文は、1884(明治17)年末における、同時代の自由民権運動史に関する包括的で適確な総括文書であると言える。

☆植木枝盛起草の「檄文」は難解な用語が頻出し、決して平易な文章ではない。参考までに、藩閥政府の「有司専政」を批判した檄文の骨子を口語体で紹介する。(     )の例示の史実は引用者。

◎檄文骨子
①朝廷の権力をうばい、国家を私物化している。
(1867大政奉還、1868五ヵ条の誓文、1871廃藩置県、1873明治六年の政変)
②民意をさえぎり、忠告や助言に耳をかたむけない。
(1871岩倉使節団、1874民撰議院設立建白、1877立志社建白、1880国会開設允可上願)
③天皇をあざむき、聖徳をけがしている。
(1868五ヵ条の誓文、1875漸次立憲政体樹立の詔、1881国会開設の勅諭)
④広範な議論をしりぞけ、世論をうけいれない。
(1874民撰議院設立建白、1877立志社建白、1880各県各地国会請願建白)
⑤民権を軽視し、自由をおさえつけている。
(1869出版条例、1875新聞紙条例・讒謗律・出版条例改正、1880集会条例、1882集会条例改正、1883新聞紙条例改正・出版条例再改正)
⑥立法権を制限したり、司法権を混乱させている。
(1875元老院設置・大審院設置、1882刑法施行・治罪法施行・林包明の巡査侮辱裁判)
⑦重税を課してしぼり取り、人民の暮らしを悪化させている。
(1875煙草税則・酒類税則、1878地方税規則、1880酒造税改正・地方税規則改正、1881地租徴収期限改定、1882酒屋会議・酒税減額建白・売薬印紙税制定・酒造税率加増、1884証券印紙規則改正)
⑧約束をやぶり、人民をだましている。
(1873地租改正、1877地租5厘軽減、1881政府貸付金、1883予算表、1884新地租条例)
⑨言動の正しい人をねたみ、国力を弱体化させている。
(1876萩の乱、1877西南戦争)
⑩外交をあやまり、国の恥をまねいている。
(1873征韓論争、1875千島樺太交換条約、1882壬午軍乱)

☆檄文は冒頭において、「愛国」、「国の命脈」、「皇上の尊栄」、「民人の幸福」、「国を正す」等の基本理念を掲げている。結語の部分では、「専制政府」保持のための「警察」、「憲兵」、「徴兵制」の役割について批判している。

『自由民権・憲法発布』

①鈴木安蔵(スズキ・ヤスゾウ)
②1904-1983
③白揚社
④1939年11月15日
⑤321頁+年表(15頁)・22㎝
⑥2円
⑦自由民権運動と概称されて来たものは、ほゞ明治七年の民撰議員建白によって口火をきられた立憲政治樹立の要求が、明治十二年頃より士族平民の間に次第に展開し、十三年より十四年々初までを絶頂とする国会開設願望運動となつて沸騰し、それが十五年以降政黨の結成から政府の弾圧甚だしく遂に直接行動による最後的抗争となって終末した政治現象である、これは歴史的に、何時しか命名されて通称となって来た名称である。ただ我々は、自由民権運動即民主主義的運動と解釈してはならない。自由民権運動と概称さるゝ政治現象は複雑多岐であり、その内容にも単なる政府反対派の民撰議院設立建白から、貧農その他の窮迫民衆の苦悩に発する直接行動まで多大の相違があったのである。
(同書8頁)

☆所蔵本は初版である。近代日本歴史講座の1冊(第3冊)として刊行された。目次は以下の通りである。

◎目次

第1章 自由民権運動の発生
第2章 言論取り締まりと其影響
第3章 諸政党の結成
第4章 自由民権運動の昂揚・敗退と諸政党の推移
第5章 政府の国会開設準備
第6章 条約改正問題と大同団結
第7章 憲法発布と立憲政治の発展
年表

☆同書第4章の「第1節、各地における直接行動」に、植木枝盛起草「飯田事件檄文」の一部分が紹介されている。

◎夫れ今日の政府は明治六年を以て藩閥有事専制たることを顕はして以来、益威福を壇にせんと欲し、随って天下の議論を忌憚して、八年に新聞紙条例及び讒謗律を設けて強て人工を箝制し、十六年四月十六日の布告を以て益其方を厳猛にし、国内結社会合の事漸く行れ、政談演説少しく盛なるを見るや、輒ち集会条例を頒布して之を遏欲し、其罰を設くることも亦甚た酷矣、夫れ此新聞紙条例、集会条例の如きは、実に天下人民の集会、結社、言論の三大自由を抑制するの最も大なるものにして、天下万人の舌根を抜き去るに異ならざる也、天下万人を聾啞と為らしむるに異ならざる也、天下万人を死人たらしむるに異ならざるなり。
(同書232頁)

☆鈴木安蔵は、この檄文を「わが自由民権運動を回顧するものの逸すべからざるドキュメント」と高く評価した。

(2017年4月)



【日本国憲法70年記念企画展】
2016/11/03~2017/05/03、好評により期間延長
当館所蔵鈴木安蔵関係資料
○鈴木『憲法の歴史的研究』(大畑書店1933年6月20日)
○鈴木『日本憲政成立史』(学藝社1933年12月16日)
○鈴木『明治初年の立憲思想』(育生社1938年9月5日)
○鈴木『自由民権・憲法発布』(白揚社1939年11月15日)
○鈴木『日本憲法史概説』(中央公論社1941年5月15日)
○鈴木「憲法改正その意味」(『東京新聞』1945年10月16日)
○鈴木「日本自由主義の伝統」(『東京新聞』1945年10月月17日)
○鈴木「方法と方向」(『東京新聞』1945年10月18日)
○鈴木「日本の現状」(『新時代』1945年11・12月合併号)
○鈴木「民主主義日本」(『新時代』1945年11・12月合併号)
○鼎談(鈴木安蔵・尾佐竹猛・鈴木東民)「新日本の民主主義を語る」(『新時代』1945年11・12月合併号)
○鈴木短歌「秋雨」(『新時代』1945年11・12月合併号)
○座談会(鈴木安蔵・室伏高信・徳川義親・志賀義雄・小野俊一・岩淵辰雄・松本治一郎)「民主主義獲得への途」(『読売報知』1945年11月4日~9日)
○鈴木「憲法改正の根本論点」(『新生』1945年12月号)
○談話「鈴木安蔵氏に聴く」(『毎日新聞』1945年12月29日)
○鼎談(鈴木安蔵・木村毅・岩淵辰雄)「新聞、重臣、天皇制、政党、選挙」(『新時代』1946年1月号)
○鈴木「停滞せる民主主義と停滞の克服」(『民主文化』1946年1月創刊号)
○鈴木「民主主義の実現と憲法改正」(『太平』1946年1月号)
○鈴木「民主主義憲法の基礎理論」(『改造』1946年新年号)
○鈴木「河上肇先生の思ひ出」(『民主主義科学』1946年1月創刊号)
○鈴木「天皇の悲劇」(『民主文化』1946年2月号)
○鈴木「偉大なるヒューマニスト、河上肇博士」(『民主文化』1946年3月号)
○鈴木「民主主義の前進」(『新時代』1946年3月号)
○鈴木「天皇制と文明」(『新人』1946年3月号)
○鈴木「大権存置は民主化に反す」(『読売報知』1946年3月9日)
○鈴木「平和・人権の保障不十分」(『読売報知』1946年3月10日)
○鈴木「直接民主制の要求」(『読売報知』1946年3月12日)
○鈴木『民主憲法の構想』(光文社1946年4月25日)
○鈴木「吉野作造〈人と思想の研究〉」(『中央公論』1946年5月号)
○鈴木「民主主義と社会主義」(『改造』1946年6月号)
○鈴木「天皇の政治的性格」(『言論』1946年7月号)
○鈴木「憲法断片」(『世界評論』1946年7月号)
○座談会(鈴木安蔵・末川博・瀧川幸辰・住谷悦治・藤谷猛雄)「日本再建の諸問題」(『改造』1946年8月号)
○鈴木「議会政治は社会主義を実現し得るか」(『改造』1946年9月号)
○鈴木「新しい憲法と新しい人間」(『光 La Clarté』1946年12月号)
○鈴木「新憲法と再建日本の政治」(『改造』1947年2月号)
○鈴木『明治憲法と新憲法』(世界書院1947年4月25日)
○座談会(鈴木安蔵・宮沢俊義・末広嚴太郎・我妻栄・向坂逸郎)「新憲法と国政」(『改造』1947年5月号)

当館所蔵高野岩三郎関係資料
○記者会見「民主主義的憲法制定会議」(『読売報知』1946年1月26日)
○高野「囚われたる民衆」(『新生』1946年2月号)
○高野「総選挙と民主戦線」(『読売報知』1946年3月1日))
○高野「憲法改正、政府案に対する意見」(『読売報知』1946年3月8日)
○談話「高野岩三郎博士談」(『毎日新聞』1946年3月8日)
○高野「憲法改正と民主人民連盟」(『改造』1946年4月号)
○人物評「高野岩三郎・金森徳次郎・武者小路実篤・鈴木東民」(『改造』1946年7月号)
○記者会見「放送スト」(『読売報知』1946年10月21日)
○高野「組合運動の再建に寄す」(『朝日新聞』1946年10月26日)
○嘉治隆一「高野博士を悼む」(『週間朝日』1949年4月24日号)
○大島清『高野岩三郎伝』(岩波書店1968年3月15日)

当館所蔵E.H.ノーマン関係資料
○ノーマン「日本帝国主義の一源流 ― 玄洋社の研究 ― 」(『世界評論』1946年3月号)
○ノーマン「維新前後における下士・浪人の役割」(『世界』1947年4月号)
○ノーマン『日本における近代国家の成立』(時事通信社1947年8月10日、大窪愿二訳初版)
○ノーマン『日本における兵士と農民』(白日書院1947年11月25日、陸井三郎訳初版)
○ノーマン『忘れられた思想家 ― 安藤昌益のこと(上)(下)』(岩波新書1950年1月31日初版)
○『日本における近代国家の成立━明治時代の政治経済問題』(岩波現代叢書1953年6月15日)
○『日本の兵士と農民━日本徴兵制度の諸起源』(岩波現代叢書1958年8月25日、大窪愿二訳)
○『ハーバート・ノーマン全集第1巻(日本における近代国家の成立,ほか)』(岩波書店1977年4月27日)
○『ハーバート・ノーマン全集第2巻(日本政治の封建的背景,近衛文麿,ほか)』(岩波書店1977年6月24日)
○『ハーバート・ノーマン全集第3巻(忘れられた思想家―安藤昌益,ほか)』(岩波書店1977年8月25日)
○『ハーバート・ノーマン全集第4巻(日本の兵士と農民,クリオの顔,年譜, ほか)』(岩波書店1978年2月24日)

当館所蔵戦後総合雑誌等
○『新生』(1945年11月号~1946年11月号)
○『改造』(1946年1月号~1947年5月号)
○『中央公論』(1946年1月号~1947年5月号)
○『世界』(1946年1月号~1947年5月号)
○『アサヒグラフ』(1945年9月5日号~1948年11月3日号)

【鈴木安蔵略年譜】
1904(明37)・・・3月3日、福島県相馬郡小高町(南相馬市小高区)で誕生
1917(大 6)・・・4月、福島県立相馬中学校入学
1921(大10)・・・4月、第二高等学校文科甲類入学
1924(大13)・・・4月、京都帝国大学文学部哲学科入学
1927(昭 2)・・・5月30日、学生社会科学連合会事件の一審判決(禁固10月)
         大学を中退
1929(昭 4)・・・2月~8月、河上肇創刊の『社会問題研究』編集
         10月21日、治安維持法違反で逮捕投獄~1932年6月17日まで
1930(昭 5)・・・5月27日、「学連事件」大審院上告棄却
1933(昭 8)・・・6月20日、『憲法の歴史的研究』(大畑書店)
1933(昭 8)・・・12月16日、『日本憲政成立史』(学藝社)
1938(昭13)・・・9月5日、『明治初年の立憲思想』(育生社)
1939(昭14)・・・11月15日、『自由民権・憲法発布』(白揚社)

1940(昭15)・・・9月27日、明治史研究会(鈴木、大久保、深谷、田中、ノーマン)
1941(昭16)・・・1月19日、憲法史研究会(尾佐竹ほか)
         5月15日、『日本憲法史概説』(中央公論社)
1945(昭20)・・・10月29日、高野、室伏、鈴木会談
         11月 5日、憲法研究会第1回会合(新生社)
         11月14日、  〃  第2回会合( 〃 )
         11月21日、  〃  第3回会合( 〃 )
         11月28日、  〃  第4回会合( 〃 )
         12月 5日、  〃  第5回会合( 〃 )
         12月26日、  〃  第6回会合、最終案作成( 〃 )
              憲法研究会「憲法草案要綱」を政府へ提出
         12月28日、新聞発表(『朝日新聞』、『毎日新聞』等)
1946(昭21)・・・4月25日、『民主憲法の構想』(光文社)
1947(昭22)・・・4月25日、『明治憲法と新憲法』(世界書院)
1948(昭23)・・・12月15日、『自由民権』(白揚社)
1952(昭27)・・・1月、静岡大学教授
1967(昭42)・・・4月、立正大学教授
         12月25日『憲法学三十年』(評論社)
1976(昭51)・・・3月、立正大学定年退職
1977(昭52)・・・11月1日、『憲法制定前後』(青木書店)
1983(昭58)・・・8月7日、他界
※鈴木安蔵『憲法学三十年』(評論社1967年)、鈴木安蔵博士追悼論集刊行会編『日本憲法科学の曙光』(勁草書房1987年)、原秀成『日本国憲法制定の系譜Ⅲ』(評論社2006年)参照。

【高野岩三郎略年譜】
1871(明 4)・・・9月2日、誕生(長崎県)、職工義友会の房太郎は実兄
1895(明28)・・・7月、東京帝国大学卒業(幣原喜重郎と同期)
1899(明32)・・・欧州留学(ミュンヘン大学)の辞令
1903(明36)・・・4月1日、欧州留学より帰国、
         5月8日、東京帝国大学法科大学教授
1920(大 9)・・・1月10日、森戸事件(東大経済学部助教授の森戸辰男休職)
         3月14日、大原社会問題研究所々長、『日本労働年鑑』刊行
1930(昭 5)・・・4月10日、胆石病のため神戸の昭生病院に入院
1931(昭 6)・・・10月25日、退院し自宅療養
1937(昭12)・・・大原社会問題研究所移転(大阪⇒東京)
         3月8日、東京淀橋区柏木の新事務所着任
1938(昭13)・・・7月、マルサス『初版人口の原理』(高野・大内訳岩波文庫)
1945(昭20)・・・5月24日~25日、空襲により大原社会問題研究所の建物焼失
         10月29日、日本文化人連盟創立準備会
         11月5日、憲法研究会第1回会合(高野、鈴木ほか)
         11月21日、「日本共和国憲法私案要綱」執筆
1946(昭21)・・・2月1日、共和制私案発表(「囚われたる民衆」『新生』2月号)
         3月8日、「憲法改正政府案に対する意見」(『読売報知』)
             「高野岩三郎博士談」(『毎日新聞』)
         4月26日、NHK会長就任(戦後初代会長)
1949(昭24)・・・4月5日、他界(77歳)
         4月24日、嘉治隆一「高野岩三郎博士を悼む」(『週間朝日』)
※高野岩三郎『かっぱの屁』(法政大学出版局1961年)、大島清『高野岩三郎伝』(岩波書店1968年)等参照。

【E.H.ノーマン略年譜】
1909(明42)・・・9月1日、長野県軽井沢で誕生(父親は宣教師)
1920(大 9)・・・神戸のカナダ学院入学
1929(昭 4)・・・トロント大学ヴィクトリア・カレッジ入学
1933(昭 8)・・・10月、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ入学
1936(昭11)・・・10月、ハーヴァード大学で日本史と中国史の研究
1940(昭15)・・・1月、
JAPAN'S EMERGENCE AS A MODERN STATE
         5月、来日(駐日カナダ公使館語学官)
         9月頃、鈴木安蔵等の明治史研究会参加 
1941(昭16)・・・1月14日、憲政史編纂会の鈴木安蔵を訪問 
1941(昭16)・・・7月、軽井沢で羽仁五郎から個人講義受講(明治維新)
1942(昭17)・・・7月、交換船で離日(日米開戦のため)
1943(昭18)・・・秋、
SOLDIER AND PEASANT IN JAPAN
1945(昭20)・・・1月、
FEUDAL BACKGROUND OF JAPANESE POLITICS
         9月、占領軍と共に再来日
         9月25日、鈴木安蔵(41歳)と再会(ノーマン36歳)
         10月5日、府中刑務所の徳田球一、志賀義雄を訪問
1946(昭21)・・・3月1日、「日本帝国主義の一源流」(『世界評論』)
1947(昭22)・・・4月1日、「維新前後における下士・浪人の役割」(『世界』)
         8月10日、『日本における近代国家の成立』(時事通信社)
         11月25日、『日本における兵士と農民』(白日書院)
1950(昭25)・・・1月31日、『忘れられた思想家(上)(下)』(岩波新書)
         10月27日、離日(カナダ外務省アメリカ・極東部長)
1951(昭26)・・・9月8日、サンフランシスコ対日講和会議カナダ代表団首席随員
1953(昭28)・・・7月、ニュージーランド着(ニュージーランド駐在高等弁務官)
1956(昭31)・・・6月18日、『クリオの顔』(岩波新書)
         8月、カイロ着任(エジプト駐在カナダ大使兼レバノン公使)
1957(昭32)・・・4月4日、エジプトで他界(47歳)
※『ハーバート・ノーマン全集第4巻』(岩波書店1978年)、中野利子『外交官E・H・ノーマン』(新潮文庫2001年)、加藤周一編『ハーバート・ノーマン人と業績』(岩波書店2002年)、鶴見俊輔ほか『日米交換船』(新潮社2006年)参照。


《掲示板》

◎5月の行事
5月 3日(水):憲法施行70周年
5月 5日(金):資料調査(県内)
5月 8日(月):御予約(県内)
5月16日(火):地域行事
5月18日(木):御予約(県外)
5月23日(火):民権林園梅もぎ
5月31日(水):講演原稿〆切

◎5月の民権林園(無農薬有機・多品種小規模・循環継続)
☆収穫:筍(豊作)、空豆(平作)、グリーンピース(平作)、馬鈴薯(豊作)、小松菜(平作)、菠薐草(平作)、玉葱(豊作)、大蒜(平作)、梅(平作)
☆採集:蕗(野生)、三つ葉(野生)
☆植付:胡瓜、南瓜、ゴーヤ、トマト、茄子、生姜、里芋、ヤーコン、菊芋
☆花々:薔薇(紅・白・紫・黄・橙)、石楠花(桃)、菖蒲(紫・黄)、馬鈴薯(紫・黄)、蒲公英(黄)
☆鳥獣:雉、鵯、鶯、椋鳥、頬白、燕、鷺、狸



《民権館歳時記》


☆当館所蔵の中沢市朗編『秩父困民党に生きた人びと』(徳間書店1977年初版)に、編者と金子兜太氏の対談が収録されています。俳人の金子氏は、秩父困民党蜂起の有力メンバーの俳号を紹介しています。

☆井上伝蔵(会計長)は「逸井(イッセイ)」、宮川津盛(副会計長)は「青水(セイスイ)」、井上善作(兵糧方)は「有斐(ユウヒ)」、門平惣平(伝令使)は「遊山(ユウザン)」です。皆、同じ俳句結社に入会していました。

☆井上伝蔵は北海道逃亡中も俳句や連句を続けたようで、「柳蛙(リュウア)」という俳号が確認されています(井出孫六著『峠の軍団師』河出書房新社1976年、中嶋幸三著『井上伝蔵-秩父事件と俳句』邑書林2000年)。

☆当館所蔵の『田中千弥日記』(埼玉新聞社1977年初版)は、秩父の井上伝蔵や井上善作が参加した1881(明治14)年5月の連句(俳諧連歌)を記録しています。筆者は、この連句の評釈を読んだことはありませんが、次のように大変達者な付句です。

☆「しめり具合も麦の蒔きごろ 逸井(伝蔵)」、「約束のある鴫(シギ)を買はるゝ 有斐(善作)」(前掲『田中千弥日記』207頁)。田中千弥(タナカ・センヤ)は秩父在住の知識人で神官でした。

☆「秩父暴動雑録」(前掲『田中千弥日記』所収)には、蜂起の情景を詠んだ田中千弥の短歌(狂歌)や俳句(狂句)が記載されています。田中の俳号は「義村(ギソン)」でした。

◎ちる物とかねてしれども一時ハ日影もおほふ雲のひとむら
◎まとまりて凄し木の葉の一ト颪
 マトマリテ スゴシコノハノ ヒトオロシ
(前掲『田中千弥日記』578頁)

☆田中千弥自身の長男(岡松)が、大宮治安裁判所に拘留された折の句も詠まれています。

◎おもふ事とゝかぬ冬の日さしかな
 オモウコト トドカヌフユノ ヒザシカナ
◎来たといふしるしたに見よ霜の道
 キタトイウ シルシダニミヨ シモノミチ
(前掲『田中千弥日記』586頁)

☆田中の狂歌や狂句は、薩長藩閥の政治に対する批判や、文明開化の世相に対する風刺を含んでいるように思います。



【展示書誌データ(追加)】

※凡例=①著者②著者標目③出版社④発行年月日⑤大きさ・容量⑥値段⑦本文抜粋☆解説◎引用文
(連載中)

■『憲法と自由民権』(永美書房1946年7月15日)
①鈴木安蔵(スズキ・ヤスゾウ)
②1904-1983
③永美書房                          
④1946年7月15日
⑤169頁・18㎝
⑥12円
⑦「現代日本の歴史的課題である民主主義化のために、かならず明らかにすべき根本問題の一つとして、わたくしは明治維新ならびに憲法発布の分析をあげたい。とくに、われわれの父祖の手によってたたかはれた自由民権運動、その憲法草案の代表的なものをかへりみることは、それが日本における最初の民主主義運動である点において、いろいろな角度から、あらためて十分に研究されねばならぬと信ずる。」(同書1頁)

☆所蔵本は初版である。目次は以下の通り。

◎目次
はしがき(1946年4月)
序論に代えて―民主主義憲法の要求
一、日本憲法の史的背景
二、明治維新
三、廃藩置県
四、憲法制定論の発生
五、立憲体制への過渡
六、自由民権運動の展開
七、自由民権派の憲法論―民主主義的主張
八、民主主義的憲法草案
九、イギリス立憲君主主義的憲法論および草案
十、政府の憲法制定方針

☆房総の代表的な民権家である桜井静(サクライ・シズカ)については、「六、自由民権運動の展開」で次のように記述している。(     )は引用者。

◎愛国社は(中略)各地の政社の全国的結成を志しておったが、これとならんで(明治)十三年三月には地方官会議傍聴に出席せる各地の有志の連携の議が決せられ、また千葉県の松(桜)井静は(明治)十三(二)年末より地方連合会なる恒常的な横断的政社を組織せんことを企て、山際七司は新潟にあってこれに応じ、(明治)十三年四月には新潟県下国会開設懇望協議会を開いている。
(同書63頁)

☆ 鈴木安蔵は、更に大著『自由民権』(白揚社1948年)で、桜井静について詳細に論述している。拙著『底点の自由民権運動』(岩田書院2002年)を参照されたい。

☆『憲法と自由民権』の「八、民主主義的憲法草案」では、立志社の「日本憲法見込案」と、植木枝盛起草の「東洋大日本国国憲按」の主要条文を紹介している。鈴木は、この二つの草案が「民主主義的自由民権派の主張の代表的なものである」と指摘した。焦土化した敗戦国において、卓越した史眼であったと言えよう。

(2017年5月)



《掲示板》

◎7月の行事
7月 1日(土):自家産枇杷ジャム、梅干本漬
7月 7日(金):七夕、「民権館通信第九号」印刷
7月11日(火):館内整理
7月13日(木):フィールドワーク
7月30日(日):梅の天日干し

◎7月の民権林園(無農薬有機・多品種小規模・循環継続)
☆収穫:胡瓜(豊作)、サニーレタス(豊作)、南瓜(豊作)
☆採集:プラム(不作)
☆植付:茄子、人参、夏大根
☆花々:木槿(白・紫)、百日紅(紅・白)、向日葵(黄)、夾竹桃(紅)
☆虫鳥獣:紋白蝶、時鳥、鵯、椋鳥、頬白、鳶、白鷺、狸、野兎



《民権館歳時記》


☆馬鈴薯と胡瓜が豊作なので、好物のポテトサラダやキュウリモミを作り暑さを凌いでいます。サニーレタスも豊作なので、畑から採って来ては丁寧に洗い生食(サンドウィッチ等)をしています。

☆今年は、関東沿岸は空梅雨でしょうか。

☆畑に沢山植付けた里芋が順調に成長しています。世話無しのヤーコンも繁茂しています。甘藷と枝豆を初めて混植してみましたが、成長は良好です。

☆畑の隅に向日葵の苗を植えました。筆者30代の旧句に「原爆忌向日葵倒れ死の鎖(ゲンバクキ ヒマワリタオレ シノクサリ)」があります。独吟歌仙「非核銚子俳諧口説」初案では「生者の環(ショウジャノワ)」でした。

☆毎朝早起をして畑を見回るのが日課になりました。南瓜の茎が日々伸張しています。未だ雌花は咲かないようです。梅干は昨年より多く漬け、畑の赤紫蘇(実生)を抜いて本漬をしました。白梅酢が深紅に染まりました。



【展示書誌データ(自由民権の名著)】

※凡例=①著者②著者標目③出版社④発行年月日⑤大きさ・容量⑥値段⑦本文抜粋☆解説◎引用文
(連載中)

■雑誌『(欧米)政理叢談』仏学塾(1~55号、1882~1883年)
①中江兆民ほか
②1847-1901
③仏学塾出版局(後に日本出版会社)
④創刊号は1882年2月20日(終刊55号は1883年12月17日)
⑤18㎝・42頁(終刊55号は18㎝・46頁)
⑥8銭(終刊55号も8銭)
⑦政理叢談ハ欧米諸大家ノ政法倫理ニ関スル論説ヲ訳出シ自由ノ真理公私ノ大権ヲ簡約ニ解説スルヲ旨トス(創刊号稟告)

☆『政理叢談』創刊号の目次を紹介する。(     )は引用者。

◎目次
○叢談刊行ノ旨意
○民権論
(一千七百九十三年仏蘭西民権之告示)
○邦国ト政府トヲ区別スルノ急務
○専制政治ノ宿弊ヲ論ズ
○自由権ノ本源ハ天ニ出ヅ
○仏蘭西大革命ノ原因
(『政理叢談』第1号)

☆「一千七百九十三年仏蘭西民権之告示」(山嶽党憲法における権利宣言)は、第1条から第35条まである。「主権」と「抵抗権」について、徹底して民主主義的な条文である。

☆「主権 」に関しては次のような条文である。原文は漢文なので、分かり易い読み下し文も『中江兆民全集14(無署名)』から引用する。現代語訳は岩波文庫の『人権宣言集』からの引用。(     )は引用者。

◎第二十五条 国人相合、方得自主国、故主権者、純乎一者也、不可以分人、不可以仮人、不可以与人、
(創刊号原文)

◎第二十五条 国人相合して、方(ハジ)めて自ら国に主たるを得。故に主権なる者は、一に純なる者なり。以て人に分つべからず。以て人に仮すべからず。以て人に与うべからず。
(全集14読み下し)

◎第25条 主権は、人民に存する。それは単一かつ不可分であり、消滅することがなく、かつ譲渡することができない。
(岩波文庫現代語訳)

☆「抵抗権」については次のような条文である。

◎第三十三条 国人既有前所挙諸権、故官若有侵暴、得出力抗拒、為有司者、不得視為叛逆、
(創刊号原文)  

◎第三十三条 国人既に前に挙ぐる所の諸権あり。故に官の若し侵暴することあれば、力を出して抗拒するを得。有司(ユウシ)たる者、視て叛逆と為すを得ず。
(全集14読み下し)

◎第33条 圧制に対する抵抗は、それ以外の人権の帰結である。
(岩波文庫現代語訳)

☆中江兆民は植木枝盛とは異なり、独自の憲法草案を書き残さなかった。創刊号に漢訳された「一千七百九十三年仏蘭西民権之告示」は、兆民の非常にラディカルな憲法観を示していると言える。(無署名の漢訳を、全集編者は兆民訳と判定している)

☆名著『民約訳解』の初出は、雑誌『政理叢談』である。「巻之一」は第2号から連続10回にわたって連載されている(2号・3号・4号・5号・6号・7号・8号・9号・10号・11号)。1882(明治15)年10月25日に単行本として出版された。

☆『政理叢談』は第7号から誌名が『欧米政理叢談』に改称された。

☆「巻之二」は、単行本として刊行されたことは一度もなかった。前後15回にわたって同誌に漢訳された(12号・13号・14号・15号・16号・35号・36号・37号・38号・39号・40号・41号・42号・43号・46号)。

☆「巻之二」は、1929(昭和4)年発行の吉野作造編『明治文化全集⑦政治編』によって初めて翻刻された。その時まで、殆どの日本国民は中江兆民著『民約訳解』の全文を読むことができなかったのである。同書の「訓読」や「現代語訳」が刊行されたのは、更に第二次世界大戦後の事である。

☆中江兆民は術語の「主権」(souveraineté スヴレヌテ)に対し、「君権」という用語を当てている。訳文は簡潔明快であるが、「巻之二」を平易にするために(     )を付した。

◎それ君権(主権)は衆志を合して成る。故に、以て人に仮(カ)さん(譲渡する)と欲するも、得べからず。(読み下し)
(「第一章君権不可以仮人」『中江兆民全集1』岩波書店1983年174頁)

◎君権(主権)は全員の意思を合わせてできあがる。だから、他人に委せようとしてもできない。(現代語訳)
(河野健二編『日本の名著36・中江兆民』中央公論社1970年176頁)

☆河野健二(カワノ・ケンジ)の現代語訳が「君権」をそのまま使用し、「主権」という術語に変換していないのは不思議な気がする。

☆中江兆民自身も「一千七百九十三年仏蘭西民権之告示」(第二十五条・第二十七条)では「主権」の術語を使用しながらも、『民約訳解』(巻之一民約一名原政・巻之一第七章・巻之二第一章・巻之二第二章・巻之二第四章)では「君権」という訳語に徹している。1874年頃の「民約論訳稿(巻之二)」でも「君権」の訳語であった。

◎已(スデ)に議院の允准(インジュン)を得れば、是れ亦た挙国の志なり。その以て分かつべからざること、亦た已に明かならずや。(読み下し)
(「第二章君権不可以分人」『中江兆民全集1』岩波書店1983年175頁)

◎議会の批准を得れば、また全国の意思となる。(君権の)分割できないことは、これで明らかではないだろうか。(現代語訳)
(河野健二編『日本の名著36・中江兆民』中央公論社1970年178頁)

☆法律用語の「主権」の初出は、津田真道訳『泰西国法論』(1868年)である。同様に法律用語の「民権」の初出も『泰西国法論』であることが知られている(前述)。

☆筆者が大学に入学した1968(昭和43)年4月頃は、どういう事情か分からないが論客の河野健二氏(故人)が教養部の大教室で講義をしていた。その後教養部は無期限バリケードストライキに突入した。まだ大学構内が平穏な時期に、何度か経済思想の講義を聴いたことがある。すでに半世紀が経過してしまったことになる。

☆桑原武夫他訳『社会契約論(コントラ ソシアール)』(岩波文庫)の「抵抗権」に関する記述は、第3編第1章「政府一般について」にある。残念ながらこの部分は、兆民の『民約訳解』には漢訳されていない。

☆念の為に、「政府一般について」の章で「統治者の権利と専制」及び「政治体の解体」がどのように記述されているか紹介しておく。

◎統治者の力は、統治者に集中された公共の力にすぎない。政府がみずから、何らかの専制的な、勝手な行為をしようとするやいなや、全体の結合がゆるみはじめる。(中略)法律上と、事実上の二つの主権者があることになれば、直ちに社会結合は消滅し、政治体は解体するだろう。
(桑原武夫他訳『社会契約論』岩波文庫1954年88頁)

☆前述の「一千七百九十三年仏蘭西民権之告示」(山嶽党憲法における権利宣言)の33条、35条にある「抵抗権」の規定の方が、ルソーの1762年の『社会契約論』よりも徹底している。

☆筆者は、中江兆民の『民約訳解』理解の鍵が、『政理叢談』創刊号に漢訳された(無署名だが)1793年「権利宣言」の条文であると最近考えるようになった。

☆戦前の天皇機関説の美濃部達吉は、フランスの「1793年憲法(宣言35条+本文124条)」について次のように指摘している。(     )は引用者。

◎1793年の憲法は、普通にジャコビ(バ)ン憲法と称せらるるもので、最も極端に民主主義の思想を貫徹したことに其の特色を有(モ)って居る。
(『現代政治学全集第7巻・議会制度論』日本評論社1930年39頁)

☆鈴木安蔵は戦前の処女作『憲法の歴史的研究』(大畑書店)で、やはり「1793年憲法」について記述している。(     )は引用者。

◎軍隊を命令する軍司令官は、直接には、右(25人の合議体)の執行機関たる執政府の指揮命令下にあるのであるが、その任免権は、議会に保留されてあった。同憲法(ジャコバン憲法)は、また、軍隊内の鞭の規則の廃止、自治体の集会による自治体役員の公選、国民の武装、自由運動のために故国を追われた外国人に対する亡命の権利の承認を規定する等々、ブルジョア・デモクラシーは、その最大限において、実現されんとした。
(『憲法の歴史的研究』大畑書店1933年22頁)

☆鈴木安蔵の前掲『憲法の歴史的研究』には、自由民権期の「主権論論争」に関する先駆的な考察もある。

☆戦後、河野健二は啓蒙的な世界史通史で、「1793年憲法」の特徴を次のように叙述した。

◎人民の意思を最高のものとして、それに従属するものとして立法機関をおき、さらに立法機関に従属するものとして執行機関がおかれる。執行機関はもとより、議員や議会の独立性は認められず、すべてが選挙人集会の発議や決定によって拘束される。これはジャン=ジャック・ルソーの「一般意志論」のそのままの適用である。
(『世界の歴史15・フランス革命』河出書房新社1969年160頁~161頁)

☆ルソーの術語「一般意志」(Volonté générale ヴォロンテ ジェネラル)は社会契約(民約)によって成り立つ人民の公共的な意志である。兆民の『民約訳解』では、「衆志」または「公志」という訳語が当てられた(前掲『日本の名著36・中江兆民』)。

☆「1793年憲法(宣言35条+本文124条)」の全文は、中村義孝編訳『フランス憲法史集成』(法律文化社2003年)に収録されている。山本浩三氏の訳文もネット上に公開されている。「宣言」の第4条が「一般意志」(Volonté générale)に関する条文である。

☆岩波文庫の前掲『人権宣言集』は、Volonté générale を「一般意志」とは訳さずに、「総意」という訳語を当てているのでルソーとの関連が不明確である。

☆『民約訳解(巻之一)』(初版)の刊行当時、自由党の機関紙『自由新聞』は次のように好意的な記事を掲載している。(     )と句読点は引用者。

◎仏学塾出版局より出板せられたる民約訳解巻之一は、家族、強者の権、奴隷等より論じ起して君(主権)、人世、土地に及び、専ら民約の主義を説きたる者にて、議論の明晰に加うるに流麗の筆を以てす、近頃必要の良書なり。
(『自由新聞』1882年11月3日第102号)


(2017年7月)



《掲示板》

◎8月の行事
8月 1日(火):民権館通信第9号投函
8月 3日(木):浩鳴忌
8月 6日(日):地域行事
8月13日(日):予約客様
8月15日(火):終戦記念日
8月17日(木):予約客様
8月27日(日):企画展準備

◎民権林園(無農薬有機・多品種小規模・循環継続)
☆収穫:胡瓜(豊作)、トマト(豊作)、南瓜(豊作)、茄子(平作)、唐辛子(豊作)、オクラ(平作)、ゴーヤ(平作)、牛蒡(豊作)、生姜(平作)
☆植付:人参、大根
☆花々:木槿(白・紫)、向日葵(黄)、夾竹桃(紅)、百日紅(紅・白)、落花生の花(橙)、茄子の花(紫)、オクラの花(薄黄)、トマトの花(黄)、ゴーヤの花(黄)、南瓜の花(黄)、鶏頭(紅)、百日草(赤)、大豆の花(白)



《民権館歳時記》


☆新刊の『俳句の底力』(東京四季出版2017年6月)を寄贈して頂きました。近世~近現代の房総の俳諧文化を、深層から解明しようとした意欲的な労作です。

☆大変興味深かったので早速通読しました。房総の自由党員(板垣退助総理)で、俳諧結社を主宰したり、俳諧結社に加盟していた人物が数人登場します。

☆香取市の石田直吉(イシダ・ナオキチ)は民権結社「温知社(オンチシャ)」の社員で、後に自由党に入党しました。同書に次のような句が紹介されています。

◎味ふや汐と聞てもはるの水   漁村
(前掲『俳句の底力』79頁)

☆「漁村」は石田直吉の俳号です。石田直吉(漁村)の墓碑は、利根川を眺望できる禅寺(香取市)の高台にあります。

☆房総の利根川流域では、野原仙太郎(ノハラ・センタロウ)と高木惣兵衛(タカギ・ソウベエ)も自由党員で、俳諧結社に加盟していました。こういう民権家俳人の作品の解明が進展するとは思ってもみませんでしたので驚いています。



【展示書誌データ(自由民権の名著)】

※凡例=①著者②著者標目③出版社④発行年月日⑤大きさ・容量⑥値段⑦本文抜粋☆解説◎引用文
(連載中)

■雑誌『欧米政理叢談』仏学塾(第16号)
①酒井雄三郎ほか
②1860-1900(酒井)
③仏学塾出版局
④1882年10月10日
⑤18㎝・49頁
⑥8銭
⑦読者、彼此参観シテ益々当時、仏国民ノ其権理ヲ愛重スルノ甚キト、之ヲ保持スルノ精神ニ富メルトヲ知ル可キナリ。(酒井雄三郎訳「革命社会論」)

☆『欧米政理叢談』第16号の目次を紹介する。

◎目次
○ルーソー民約論訳解(続)
○革命社会(党)論
○経済沿革史(続)
○司法組織論第五
○心理篇第三
○仏蘭西大革命史
(『欧米政理叢談』第16号)

☆「革命社会(党)論」は酒井雄三郎(ペンネームは坂井勇)の翻訳である。原著者のフォールは1838(天保9)年生まれの代議士で、1870(明治3)年以降「France誌」の編輯にたずさわった(井田進也『中江兆民のフランス』岩波書店1987年)。1870(明治3)年はパリ・コミューン(フランスの内乱)の前年である。

☆酒井は仏学塾に入塾し、中江兆民にフランス語(思想)を学んだ直弟子である。兆民門下では幸徳秋水の兄弟子ということになる。不運にも40歳の時にパリで客死した(改造社版『現代日本文学全集・社会文学集』1930年)。

☆第16号は、「一千七百九十三年仏蘭西民権之告示」(政理叢談創刊号所載)の原案を執筆したロベスピエールのフランス語「草案」を紹介している。

☆1793年の「民権之告示(権利宣言)」の全文は35条だが(前述)、ロベスピエール「草案」は全文32条である。訳者の酒井は、後年『排曲学論』(デモクラシー論)のような著作を書き残した。

☆ロベスピエール草案の「抵抗権」(Droit de résistance ドロワ ドゥ レジスタンス) に関する条文は、第24条・第26条・第28条である。典型的な第28条を紹介する。(   )と句読点は引用者。

◎第二十八条、政府妄(ミダ)リニ国民ヲ侵暴スルニ方(アタリ)テハ、挙国ノ民、若(モシ)クハ国中一部ノ民、皆ナ力ヲ極メテ、之ニ抗セザル可ラズ、此正ニ其義務ノ最且(カツ)要ナル者ナリ。
(『欧米政理叢談』第16号)

☆同号連載の中江兆民「ルーソー民約論訳解(続)」は、「巻之二」の「第四章、君権之限極(主権の限界) DES BORNES DU POUVOIR SOUVERAIN デ ボルヌ デュ プーヴォワール スヴラン」の前半に相当する。人民の「一般意志」を論じた重要な章である。

☆「第四章、君権之限極(主権の限界) DES BORNES DU POUVOIR SOUVERAIN 」は、『社会契約論』全編に血を通わせる心臓部分である。『欧米政理叢談』では第15号、第16号、第35号、第36号、第37号に断続して連載された。

☆フランス語の BORNES ボルヌ は、英語の border や bound であり、limit ではない。この点を理解していないと、若い読者は第4章の主題を誤読するかもしれない。

☆ POUVOIR SOUVERAIN プーヴォワール スヴラン は「主権」である。

☆近現代の著名な訳書で、第4章の「章題」がどのように翻訳されて来たか(如何に異なるか)を振り返ってみることにする。

◎君権ノ分界
(中江篤介訳『民約論』推定1874年)

◎君主ノ権ノ限界
(服部徳訳『民訳論』有村壮一蔵板1877年)

◎君権ノ限極
(中江篤介訳『欧米政理叢談・第15号』仏学塾出版1882年)

◎主権の限界
(平林初之輔訳『民約論』岩波文庫旧版1927年)

◎主権の限界について
(桑原武夫他訳『社会契約論』岩波文庫改訳新版1954年)

◎君権の限度
(河野健二編『日本の名著36・中江兆民』中央公論社1970年)

◎主権の限界について
(井上幸治訳『社会契約論』中公文庫1974年)

☆中江篤介(兆民)の「分界」、「限極」という二通りの訳語が、時空を越えて格調高いような気がする。引用者の個人的な感想である。

☆中江兆民の「巻之二第四章」における Volonté générale ヴォロンテ ジェネラル(一般意志)の訳語は、「公志」と「衆志」が併用されている。「巻之一」と「巻之二」各章では訳語が異なる。

☆河野健二の現代語訳(前述)は、「巻之一」では「衆志」であるが、「巻之二第四章」では「公志」と「衆志」の訳語を原著のままにし、やはり術語の「一般意志」に変換していない。

☆戦前の平林初之輔訳『民約論』(岩波文庫初版1927年)、戦後の桑原武夫他訳『社会契約論』(岩波文庫1954年)、井上幸治訳『社会契約論』(中公文庫1974年)は、全編で「一般意志」の術語だけを採用し一貫している。

☆「巻之二第四章」の主題が最も明確になっている名訳は、次のような漢文であると筆者は思う。平易にするため、(    )の訓読は前掲『中江兆民全集1』、[    ]の現代語訳は前掲『日本の名著36・中江兆民』に拠った。第四章には含蓄の深い漢訳が多い(山田博雄『中江兆民 翻訳の思想』慶応義塾大学出版2009年)。

◎公志之所以常得正者何也
(公志の常に正を得る所以のものは何ぞや)
[公志がつねに正しいものであることができるのは、なぜであろうか]

◎無他、人々於為衆図利之中、亦思有所自利故也
(他なし、人びと衆の為めに利を図るの中に於いて、亦た自ら利するところ有らんと思うが故なり)
[それは、ほかでもない。人びとが全員のために利益をはかることのなかで、自分の利益を得ることも考えるからである]

◎是知権云、義云、均云、平云、皆正自図利己之中、非自空際而来也
(是れ知る、権と云い義と云い、均と云い平と云うは、皆な己を利せんことを図るの中より生じ、空際よりして来るに非ざることを)
[そこで、権利といい、正義といい、均等といい、平等といっても、いずれも自分の利益をはかることのなかから生まれるのであって、空中からやってくるのではないことがわかる]

◎是知、公志之所以常得正者、以衆之所議、必有関于衆之利害也
(是れ知る、公志の常に正を得る所以のものは、衆の議するところ必ず衆の利害に関る有るを以てなることを)
[また、わかることは、公志がつねに正しいものであることができるのは、全員の議論が、かならず全員の利害にかかわるからだということである]
(前掲『欧米政理叢談』第16号)

☆中江兆民の生涯と人物像については、松本清張『火の虚舟』(文藝春秋社1968年)、松永昌三『中江兆民評伝』(岩波書店1993年)、飛鳥井雅道『中江兆民』(吉川弘文館1999年)等がある。

☆意外に思われるかもしれないが、入門書として最適なのは『火の虚舟(キョシュウ)』だろう。天才的な作家(推理小説家であると共に歴史小説家)だけが描き得る、天才的な思想家像が提示されている。

☆市民講座の連続講演風の小説である。博学と平易が同居していて難解ではない。戦後の名著の一冊である。文庫本もあり、松本清張全集にも再録されているので、どこの図書館でも閲覧できると思う。

(2017年8月)


《掲示板》

◎9月の行事
9月 2日(土):亀太郎忌
         予約客様
9月 3日(日):企画展準備
9月 5日(火):地域行事
9月 7日(木):予約客様
9月 9日(土):企画展開幕
9月10日(日):予約客様
9月30日(土):講演レジュメ作成

◎民権林園(無農薬有機・多品種小規模・循環継続)
☆収穫:胡瓜(豊作)、トマト(豊作)、茄子(平作)、唐辛子(豊作)、オクラ(平作)、牛蒡(豊作)、生姜(平作)
☆植付:聖護院大根、三浦大根
☆花々:鶏頭(紅)、金木犀(橙)、曼珠沙華(緋・白)、青紫蘇の花(白)、赤紫蘇の花(紫)、秋桜(白・桃・紫)、薔薇(ダヴィンチ赤・バレリーナ桃・エリザベス赤・ミニエデン桃)



《民権館歳時記》


☆寄贈して頂きました『俳句の底力-下総俳壇に見る俳句の実相』(東京四季出版2017年6月)を興味深く読んでいます。

☆千葉県で最初の自由党員は、豪農の服部治左衛門(ジザエモン)でした(『自由党員名簿』、『自由新聞』)。1882(明治15)年8月に入党しています。

☆服部の俳号は「耕雨」です。耕雨の俳句を発見したのは30年以上も前で、大阪市道頓堀の古書店でした。勤務した女子高校の修学旅行で生徒引率をしていた折でした。

☆古書店の店頭に並んでいた『明治俳人名鑑』(俳諧書房1910年)を手に取りましたら、偶然次の句が掲載されていました。

◎魘えたる悪夢覚むれば秋の声      耕雨
 オビエタル アクムサムレバ アキノコエ

◎離別状を反古に丸めて新酒かな      〃
 サリジョウヲ ホゴニマルメテ シンシュカナ
 
☆大阪は、1970年(筆者二十歳)の頃に御堂筋(ミドウスジ)デモに参加したことがあります。1980年以降、「大阪しぐれ」は愛唱歌です。

(2017年9月)


《民権館歳時記》

☆先日、館山市で「安房の自由民権運動と加藤淳造」について2時間ほど講演をしました。数十人の市民の皆様に話を聴いて頂き大変有り難いと思いました。

☆加藤家文書には、加藤淳造の獄中漢詩(七言絶句)が残っています。

◎冤獄囚中繋此身
 不図得罪亦因縁
 仰観猪鼻山頭月
 脳殺忠君愛国士
 
◎冤獄(エンゴク)囚中に此の身を繋(ツナ)がれ
 図らずも罪を得る亦(マタ)因縁
 仰ぎ観る猪鼻(イノハナ)山頭の月
 脳殺さる忠君愛国の士(神)

☆「冤獄」は濡れ衣のこと、「猪鼻山」は千葉市の低山で寒川監獄から見えます。淳造の罪状は、加波山事件首魁の富松正安(トミマツ・マサヤス)「蔵匿(ゾウトク)」でした。

☆淳造の祖父(加藤霞石)は高名な医師、外祖父(鈴木道順)も医師、実父(加藤玄章)も医師、実弟(石井六郎)も医師でした。鈴木道順の長男(鱸松塘スズキ・ショウトウ)は、近代初期有数の漢詩人です(『明治詩話』岩波文庫)。

☆出獄後の淳造は、安房医師会の第二代会頭になります。出獄後の淳造は、更に県会議員や衆議院議員を歴任しました。不撓不屈の人生を歩みます。南房総市の加藤家の人々と鈴木家の人々は、大河ドラマの配役のように多彩です。

☆近代の安房医師会の歴史については、大変実証的な『安房医師会誌』があります。

(2017年10月)


◎11月の行事
11月 3日(金):団体予約客様(銚子市・匝瑳市)
11月11日(土):地域行事(環境保全)
11月12日(日):交流会(南房総市)
11月21日(火):近刊原稿校正
11月30日(木):『民権館通信第10号』印刷

◎民権林園(無農薬有機・多品種小規模・循環継続)
☆収穫:里芋(豊作)、聖護院大根(豊作)、ヤーコン(豊作)、小松菜(豊作)
☆植付:玉葱、空豆、グリーンピース
☆花々:薔薇(サハラ・黄)、薊(紫)、水仙(白・黄)
※林園栽培の「ヤーコン新根株」(埋めておくだけで来春発芽)を希望者に進呈。



《民権館歳時記》


☆『静かな海(第一句集)』(花神社2017年)を著者から寄贈していただきました。有り難うございます。御紹介して御礼に替えさせていただきます。

◎青梅を干してつめたき一間あり  (同書25頁)

☆梅酒か、梅干し作りの準備でしょうか。

◎病床にこよひ一擂りとろろ汁   (同書45頁)

☆「一擂り」は「ひとすり」ですね。

◎畦を塗る百年塗りてゐるごとく  (同書131頁)

☆現代農業は「畦塗り」も機械でやるようになりました。房総では「くろぬり」と言いますが。

◎手花火のうしろ過ぎゆく死者の列 (同書145頁)

◎敗戦忌地に百万の目玉あり    (同書149頁)

☆二句共に重厚な秀句で、「百」は独特な数字であると思いました。

☆今秋は、大型台風が連続して房総半島を通過し、野菜や樹木の葉が萎れてしまいました。浅学非才ながら、久し振りの拙句です。

☆一夜明け水面の光る野分かな     凡一
 イチヤアケ ミナモノヒカル ノワキカナ

(2017年11月)




【展示書誌データ(自由民権の名著)】

※凡例=①著者②著者標目③出版社④発行年月日⑤大きさ・容量⑥値段⑦本文抜粋☆解説◎引用文
(連載中)

主な企画展示資料(戦前期
□嶺田楓江著『海外新話』和書全5冊初版,1849(嘉永2)年
□H.スペンサ-著 Social Statics 米国初版,1865(慶応元)年
□中村正直訳・ミル著『自由之理』和書全6冊初版,1872(明治5)年
□松島剛訳・スペンサ-『社会平権論』全7冊初版,1881(明治14)年~1884(明治17)年
□仏学塾編『(欧米)政理叢談』第1号~第55号(全55冊),1882(明治15)年~1883(明治16)年
□三尾重定編『民権嚆矢・房陽奇聞』水野幸発行初版,1889(明治22)年
□野島幾太郎著『加波山事件』宮川書店,1900(明治33)年
□中江篤介(兆民)著『一年有半』博文館正続,1901(明治34)年
□関戸覚蔵著『東陲民権史』養勇館初版,1903(明治36)年
□板垣退助監修『自由党史』五車楼上下初版,1910(明治43)年
□村田峰次郎著『高杉晋作』民友社初版,1914(大正3)年
□河野磐州傳編纂会『河野磐州傳』河野磐州傳刊行会上下,1923(大正12)年
□伊藤痴遊著『隠れたる事実・明治裏面史』成光館正続,1924(大正13)年
□平林初之輔訳・ルソ-著『民約論』岩波文庫初版,1927(昭和2)年
□吉野作造編『明治文化全集⑤自由民権篇』日本評論社,1927(昭和2)年
□島崎藤村編『北村透谷集』岩波文庫,1928(昭和3)年
□堺利彦「秩父騒動」『改造10月号』改造社,1928(昭和3)年
□平野義太郎著『ブルジョア民主主義運動史』日本資本主義発達史講座分冊,1932(昭和7)年
□服部之総著『明治維新の革命及び反革命』日本資本主義発達史講座分冊
,1933(昭和8)年
□柳田泉訳・ミル著『自由論』春秋社初版,1936(昭和11)年
□福田英子著・住谷悦治解説『妾の半生涯』改造文庫初版,1937(昭和12)年
□羽仁五郎著『白石・諭吉』岩波書店初版,1937(昭和12)年
□尾佐竹猛著『日本憲政史大綱』日本評論社上下初版,1938(昭和13)年~1939(昭和14)年
□鈴木安蔵著『自由民権・憲法発布』白揚社初版,1939(昭和14)年
□H.ノ―マン著 Feudal Background of  Japanese Politics 1945(昭和20)年

※戦後(1946~1984)の「自由民権の名著」は、2018年企画展において展示の予定です。企画展(戦前・戦後、計50選)に当たっては、『日本の名著(50選)』(中公新書1962年)
『自由民権運動研究文献目録』(三省堂1984年)を参照させて頂きました。


寄贈資料(2017年)※御協力に感謝しております。
□三尾重定編『民権嚆矢・房陽奇聞』(1889年)
□細川潤次郎『萬石騒動』(1895年4月4日)
□千葉県安房郡教育会編『安房三義民』(1928年8月25日)
□川名真太述『館山市、丸山町、三芳村各市町村を背景として封建とたたかい民権を樹てた農民の偉業・安房万石騒動実録』(ガリ版刷1963年9月14日)
□パンフ『万石義民260年祭』(万石義民260年祭法要委員会1970年11月26日)
□チラシ「揺れる沖縄―戦争から占領、そしてシマクトゥバからオキナワン・ロックまで―」(神奈川大学日本常民文化研究所・国際常民文化研究機構,2016年12月10日)
□特別純米酒「自由は土佐の山間より」(司牡丹酒造,2016年12月21日)
□『東北の近代と自由民権』(日本経済評論社,2017年2月5日)
□『自由のともしびVOL82』(高知市立自由民権記念館,2017年3月1日)
□『自由民権30号』(町田市立自由民権資料館紀要,2017年3月31日)
□『民権ブックス30号・武相民権家列伝』(町田市立自由民権資料館,2017年3月31日)
□『高知市中心部・民権史跡案内図』(高知市立自由民権記念館,2017年3月)
□チラシ「杉戸絵と花鳥画」(いすみ市郷土資料館,2017年4月15日~7月30日)
□葉書通信『房総のことば』(マイワイ,2017年5月29日)
□『三里塚燃ゆ―北総大地の農民魂』(平原社,2017年5月30日)
□『俳句の底力―下総俳壇に見る俳句の底力』(東京四季出版,2017年6月30日)
□『興隆の旅―中国・山地の村々を訪ねた14年の記録』(花伝社,2017年7月3日)
□葉書通信『房総のことば』(アマジ,2017年7月5日)