長生地域
茂原市の民権家
齊藤自治夫(和助)
三大事件建白運動
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千葉・東葛地域 民権派代言人 板倉中と妻比左(next
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《contents》
(1)齊藤自治夫(和助)のプロフィール
(2)齊藤自治夫書簡
(3)齊藤自治夫年譜
(4)齊藤和助編『板垣退助君高談集』
(5)齊藤和助の「鳴求社」批判(準備中)
(6)吉原次郎八(準備中)
齊藤自治夫宛書簡の束
1990年5月に発見された齊藤家文書
《齊藤自治夫のプロフィール》
1857(安政4)年10月生誕~1916(大正5)年10月死去
★‥‥‥長生郡の民権家である齊藤自治夫を紹介してみたい。長生郡といっても民権運動が盛んであった明治10年代は長柄郡と上埴生郡に分かれていたから、齊藤自治夫は長柄郡の長尾村(現茂原市)の自由党員であった。
★齊藤自治夫は1857(安政4)年10月生まれで、若い頃は齊藤和助といった。1887(明治20)年頃に、ユニークな名前の自治夫に改名したようである。「ジチフ」と読んだ方が自然のような気がするが、御子孫の方たちは皆「ジジフ」と呼んでいる。当時の電報に「ジジオ」と記されている史料も残っている。私は御子孫の読み方に従っている。
★彼の生涯で最も光芒を放っているのは、三大事件建白運動が盛り上がった1887(明治20)年の秋である。多数の署名(南総80余か町村の総代と伝えられている)を抱えて上京し、首都で地租軽減等の建白運動を貫徹した。しかし、保安条例の適用対象者となり、12月26日以降皇居外三里以遠へ追放となってしまった。東京での活動の場を失った齊藤自治夫等は、運動の建て直しに悪戦苦闘したようである。1888(明治21)年の5月に、東北地方へ遊説を試みたりしている。
★保安条例が解除されたのは1889(明治22)年の2月11日である。この日、憲法発布の恩赦によって多数の民権家(政治犯)が釈放された。国会開設は1年後に迫っていた。この辺の政治的駆け引きは、伊藤博文ー山県有朋ラインの方が幕末の権力闘争をくぐり抜けて来ただけに、民権派よりもかなり上手だったのかもしれない。
★現在、茂原市長尾の齊藤家を訪れると、庭に自治夫の顕彰碑が建てられている。題字は福島県三春町出身の民権家の河野広中(後に衆議院議長)である。齊藤自治夫は晩年、豊田村村長を務め、1916(大正5)年10月に59才で死去した。
齊藤自治夫書簡 叔父の吉原次郎八宛 1889(明治22)年2月18日
齊藤嘉治氏提供
【書簡解読】
「拝呈
陳者(のぶれば)余寒未難去候処
高堂益御多祥之段奉賀候
小生儀曩(さき)ニ保安条例第四条
ニ依リ皇城三里以外ヘ放逐せら
れ候処此度帝国憲法発
布之日ヲ以解除相成候就
而ハ其之祝意として一宴相
開度候間来ル二十日正午頃迄ニ
御差繰り御枉賀(おうが)被下度此段
御待申上候 草々
二月十八日 齊藤自治夫
吉原賢叔父 貴下
二白 小生一身上ニ付御願申上度儀も有此
候間是非共御出張願上候」
※憲法発布の恩赦によって保安条例が解除されたことを連絡する書簡。叔父の吉原次郎八(千葉市出身)は元自由党中央の常議員である。
齊藤自治夫顕彰碑(齊藤家前庭)
茂原市長尾
【齊藤自治夫(和助)の生涯】年譜
※1886年まで和助、1887年から自治夫。
■誕生~少年時代
・1840(天保11)年
9月2日、板倉胤臣は茂原市で誕生、後に衆議院議員(『茂原市史』、『千葉県議会史議員名鑑』)。
・1842(天保13)年
5月5日、齊藤やそ(和助の母)誕生、旧姓は吉野(「齊藤自治夫家戸籍謄本」)。
・1843(天保14)年
5月15日、高梨正助はいすみ市で誕生、後に衆議院議員(『憲政功労者銘記』)。
・1850(嘉永3)年
6月13日、高橋喜惣治は茂原市で誕生、後に衆議院議員、貴族院議員(『千葉県議会史議員名鑑』)。
・1853(嘉永6)年
6月6日、井上幹(みき)はいすみ市で誕生、後に夷隅事件で投獄(『憲政功労者銘記』)。
9月13日、幹(かん)義郎は茂原市で誕生、後に県会議員(『千葉県議会史議員名鑑』)。
・1856(安政3)年
4月23日、君塚省三(せいぞう)は勝浦市で誕生、後に衆議院議員(『憲政功労者銘記』)。
9月1日、板倉中(なかば)は白子町で誕生、後に弁護士、衆議院議員(『千葉県議会史議員名鑑』)。
・1857(安政4)年
10月8日、齊藤和助は茂原市長尾(長柄郡長尾村)で誕生、後に県会議員、村長(『千葉県議会史議員名鑑』)。
10月10日、桜井(吉川)静は多古町(香取郡牛尾村)で誕生、後に衆議院議員(『千葉県議会史議員名鑑』)。
1864(元治元)年
7月27日、齊藤みね(和助の妻)誕生、旧姓は篠崎(「齊藤自治夫家戸籍謄本」)。
■自由民権運動
・1880(明治13)年
3月28日、海鷗社(社員40名)が結成され、茂原駅で演説講談会を開催の記事(『朝野新聞』)。
・1881(明治14)年
2月18日、長柄郡関駅の求友社設立に関する記事(『曙新聞』)。
7月28日、鳴求社は社員集会の上、板倉胤臣、鶴岡清次(治)郎等の幹事を選定し、8月1日に12名の氏名の広告記事(『総房共立新聞』)。
10月18日、自由党創立の会議(『自由党史』)。
11月10日、齊藤昌雄(和助・みね夫妻の長男)誕生(「齊藤自治夫家戸籍謄本」)。
・1882(明治15)年
1月26日、齊藤和助は長柄郡本納駅における鳴求社第2回演説会で演説「国家は人民の組織」、午後6時より懇親会、出席者は嚶鳴社員の島田三郎、地元の板倉胤臣、鶴岡清次郎、白井喜一郎、齊藤和助等(『総房共立新聞』)。
4月22日、齊藤和助、鶴岡清次郎等は板垣退助の岐阜災難に対し、書状と見舞金8円を「東京自由党地方部員」へ送付(『総房共立新聞』)。
4月24日、「自由党本部幹事」から「鳴求社御中」へ見舞金領収と奉答の書面(『総房共立新聞』)。
6月1日、板垣退助総理と片岡健吉等10余名は東京に到着(『総房共立新聞』)。
6月12日~19日、齊藤和助は自由党臨時大会に、叔父の吉原次郎八と共に参加(「樺山資紀文書」、『明治自由党の研究上巻』、『自由党史』)。
6月25日、『自由新聞』第1号発刊、社長は板垣退助(『総房共立新聞』、『自由党史』)。
11月21日、長柄郡高師村で政談演説会(200余名)及び懇親会(130余名)、発起者は板倉胤臣、齊藤和助、高橋喜惣治、幹義郎等、弁士は東京から立憲改進党の矢野文雄と箕浦勝人、桜井静もこの日茂原訪問(『報知新聞』、『朝野新聞』、『詠歸堂日記』)。
・1883(明治16)年
4月23日、吉原次郎八は自由党常議員(「明治16年4月通常例会決議録」)。
6月20日、長柄郡の齊藤和助、石井喜一、大和久五郎作、齊藤又四郎、大塚安三と山辺郡の吉原次郎八、相模啓次郎、小高毅雄の自由党入党報道記事(『自由新聞』)。
6月24日、夷隅郡大原駅竹楼で自由党員の懇親会、高梨正助、君塚省三、齊藤自治夫等100余名来会(『朝野新聞』)。
7月15日、山辺郡大網宿の蓮照寺で偽党撲滅の演説会と懇親会、齊藤和助は弁士として参加、聴衆約600人(『自由新聞』)。
・1884(明治17年)
1月17日、茂原警察署から齊藤和助宛に出頭通知(「齊藤自治夫関係文書」)。
1月17日、安房地域の加藤淳造・屋城慶三郎から加藤平四郎・君塚省三宛書簡(「齊藤自治夫関係文書」)。
1月17日、18、19日、長柄郡高師村演説会広告(『自由新聞』、『朝野新聞』)。
1月18日、夷隅郡の君塚省三から齊藤和助宛書簡、病気のため欠席連絡(「齊藤自治夫関係文書」)。
5月21日、自由党大阪大会の千葉県代表選出について、香取郡の石田直吉から連絡書簡(「齊藤自治夫関係文書」)。
8月20日、香取郡通信委員の高野麟三と石田直吉から齊藤和助宛書簡(「齊藤自治夫関係文書」)。
10月11日、叔父の吉原次郎八(自由党員)から齊藤和助宛書館、大阪大会代表派遣旅費の件(「齊藤自治夫関係文書」)。
10月29日、自由党は大阪北野大融寺における大会で解党決議(『自由党史』)。
11月2日、大阪大会出張中の井上幹と板倉中連名の齊藤和助宛書簡、解党後の方針協議について(「齊藤自治夫関係文書」)。
11月17日、叔父の吉原次郎八から齊藤和助宛書簡、千葉町集会と大阪大会出席者慰労の件(「齊藤自治夫関係文書」)。
12月15日、旧自由党員の小高毅雄から齊藤和助宛書簡、夷隅事件で在獄中の井上幹等に慰問差入の件(「齊藤自治夫関係文書」)。
・1885(明治18)年
3月7日、吉原次郎八から齊藤和助宛書簡、獄中の富松正安等へ差入の件(「齊藤自治夫関係文書」)。
5月24日、齊藤和助は『板垣退助君高談集』を編集し刊行(同書)。
7月12日、『自由燈』に『板垣退助君高談集』の広告(『自由燈』)。
11月6日、吉原次郎八と小高毅雄連名の齊藤和助宛書簡、出獄した夷隅事件メンバー慰労会の件(「齊藤自治夫関係文書」)。
・1886(明治19)年
5月7日、井上幹他界(井上家墓誌)。
7月3日、加波山事件の富松正安は千葉重罪裁判所において死刑判決(『自由党史』)。
7月6日、大網の小高毅雄から齊藤和助宛書簡、地方の民権運動停滞の件(「齊藤自治夫関係文書」)。
10月、齊藤和助外8名は、加波山事件の三浦文次・小針重雄・琴田岩松の出棺会葬香奠として4円50銭(『喜多方市史』近代資料編Ⅴ)。
・1887(明治20)年
※この年、齊藤は名前を「和助」から「自治夫」(じじふ)に改名。
3月、香取郡の旧自由党員グループ(高野麟三等6名)から齊藤自治夫宛書簡、総常懇親会と大阪事件裁判弁護人の板倉中壮行会の件(「齊藤自治夫関係文書」)。
6月23日、君塚省三から齊藤自治夫・吉原次郎八連名宛書簡、『めざまし新聞』発行支援の件(「齊藤自治夫関係文書」)。
9月19日、斎藤徳三郎から齊藤自治夫宛書簡、自治夫の胃病、「振東学館」の経営、条約改正反対の件(「齊藤自治夫関係文書」)。
10月15日、小高毅雄、吉原次郎八、齊藤自治夫等が発起者となり山辺郡大網で南総懇親会、齊藤は地租軽減を痛論(『めざまし新聞』)。
11月15日、齊藤自治夫は長柄郡・上埴生郡・山辺郡等の約280名惣代として、建白書「減租之儀ニ付上言」を元老院議長に提出(「三島通庸関係文書」、『明治建白書集成第八巻』)。
12月18日、千葉県庁前の板倉中・富原八郎左衛門は連名で、東京府京橋区北紺屋町の西貝源蔵方に寄留していた齊藤自治夫へ電報「ニジウニニチゴトウクルカ」打電、高梨正助と新荘克己は連名で西貝源蔵方寄留の齊藤自治夫宛に書簡、建白書提出の委任状の件(「齊藤自治夫関係文書」)。
12月26日、齊藤自治夫は保安条例により皇城三里以外の地に退去(2年半)(『自由党史』、「公文雑纂所載名簿」)。
・1888(明治21)年
4月22日、東北遊説中の齊藤自治夫は、福島県福島町で開催された東北七州有志懇親会に参加(安在邦夫「三大事件建白運動と大同団結運動」)。
5月4日、秋田県内(角館・刈和野・大曲・角間川・横手・湯沢・横堀)から山形県方面を旅行中の齊藤自治夫は、千葉県山辺郡小食土村の吉原次郎八に遊説報告の書簡(「齊藤自治夫関係文書」)。
5月20日、新潟県内(新潟・長岡・柏崎・直江津・高田)から長野県方面を旅行中の齊藤自治夫は、山辺郡小食土村の吉原次郎八に遊説報告の書簡(「齊藤自治夫関係文書」)。
8月、植草與左衛門が辞職したので、千葉県会議員補欠選挙に立候補し当選、1894(明治27)年3月まで在任(『千葉県議会史』付録)。
10月 関東8州大懇親会参加、後藤象二郎他250人(『東海新報』)。
・1889(明治22)年
2月11日、茂原警察署長から齊藤自治夫に対して出頭通知文書、恩赦による保安条例首都退去解除の件(「齊藤自治夫関係文書」)。
2月15日、長狭郡出身の山田嶋吉(東京府湯島)から、齊藤自治夫宛へ葉書、大赦によって退去解除になった人々の懇親会の件(「齊藤自治夫関係文書」)。
2月18日、齊藤自治夫から叔父の吉原次郎八宛書簡、憲法発布の恩赦で保安条例解除につき祝宴の件。香取郡の高野麟三から齊藤自治夫宛書簡、将来の運動方法等の件(「齊藤自治夫関係文書」)。
7月、長生倶楽部を板倉胤臣等と結成、幹事に就任(『東海新報』)。
10月、東京倶楽部(非政社派)の遊説員(『明治政史』)。
1890(明治23)年
3月、齊藤自治夫は、千葉県議会議員再選(『千葉県議会史』付録)。
5月1日、齊藤文夫(自治夫・みね夫妻の二男)誕生(「齊藤自治夫家戸籍謄本」)。
■国会開設後
・1892(明治25)年
3月、齊藤自治夫は千葉県会議員再再選、県会副議長になる、1894(明治27)年3月まで(『千葉県議会史』付録)。
・1895(明治28)年
4月、齊藤自治夫は豊田村村長となる、1898(明治31)年6月まで(『長生郡郷土誌』)。
8月21日、板倉胤臣他界、満54歳、元衆議院議員(『千葉県議会史議員名鑑』)。
・1902(明治35)年
この年、長生郡郡会議員に当選(『千葉県議会史議員名鑑』)。
・1905(明治38)年
8月25日、桜井静他界、満47歳、元衆議院議員(『千葉県議会史議員名鑑』)。
・1906(明治39)年
君塚省三他界、満50歳、元衆議院議員(『憲政功労者銘記』)。
・1907(明治40)年
2月11日、齊藤伍一(自治夫・みね夫妻の三男)誕生(「齊藤自治夫家戸籍謄本」)。
・1910(明治43)年
1月10日、齊藤千枝子(自治夫・みね夫妻の直系の孫)誕生(「齊藤自治夫家戸籍謄本」)。
※千枝子は嘉治(存命)の母。
・1911(明治44)年
9月、齊藤自治夫は再度豊田村村長となる(『長生郡郷土史』)。
・1916(大正5)年
10月22日、齊藤自治夫他界、満59歳、元県会議員(『千葉県議会史議員名鑑』)。
・1918(大正7)年
4月15日、高橋喜惣治他界、満67歳、元貴族院議員(『千葉県議会史議員名鑑』)。
・1925(大正14)年
7月18日、高梨正助他界、満82歳、元衆議院議員(『憲政功労者銘記』)。
・1928(昭和3)年
7月11日、齊藤みね(自治夫の妻)他界、満63歳(「齊藤自治夫家戸籍謄本」)。
・1932(昭和7)年
5月2日、幹義郎他界、満78歳、元県会議員(『千葉県議会史議員名鑑』)。
・1933(昭和8)年
4月18日、齊藤嘉治(千枝子・實夫妻の長男)大連市で誕生(「齊藤自治夫家戸籍謄本」)。
【主な参考文献】
・佐久間耕治著『房総の自由民権』崙書房1992年
・佐久間耕治論文「自由民権研究の新段階ー房総の三大事件建白・齊藤自治夫宛書簡に依拠して」宇野俊一編『近代日本の政治と地域社会』(国書刊行会1995年)所収
・佐久間耕治著『底点の自由民権運動』岩田書院2002年
齊藤和助編
『板垣退助君高談集』
1885(明治18)年刊
藍和三郎碑
*** 第3室終了
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