2022年
《掲示板》
◎1月の行事
1月 1日(土):「みんけん館通信」第18号発行
1月11日(火):秀峰忌(自由党員板倉中の妻命日)
1月18日(火):七郎忌(自由党員川名七郎命日)
◎民権林園
☆収穫:里芋(並作)、三浦大根(豊作)、聖護院大根(豊作)
☆種蒔:
☆花々:菜花(黄)
◎異常気象・災害・感染症
▼オミクロン株世界中で感染急拡大。
▼トンガ近海の海底火山大爆発、日本でも被害。
◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(1月)
□中村敬宇撰、川上廣樹纂註『 點註唐宋八家文讀本(全15巻)』1882年2月
□『明治13年~17年迅速地図(千葉県Ⅰ~Ⅲ巻)』昭和礼文社1977年7月
□会報『福島自由民権大学通信28号』福島自由民権大学2022年1月8日
《Pandemic新百人一首》 英文落首Ⅱ
★昨秋に種を蒔いた民権林園(無農薬露地栽培)の空豆(3列200本)、菜花(10列3000本)、玉葱(3列200本)、長葱(1列100本)等が寒風に耐え成長しています。
★今年は小生と妻、孫娘(留学)が年男、年女です。虎が3頭ということになります。急がず、ステイホームで「新百人一首❝New 100 poems by 100 poets❞」の英訳を続けましょう。
04 Akahito
大難(たいなん)に After a great disaster occured,
目覚めてみれば You wake up and see
白日夢 That it's the daydream before yourself.
富士の高嶺は From the top of the Mount Fuji
マグマ噴(ふ)きつつ Magma might be erupting violently.
《掲示板》
◎2月の行事
2月 3日(木):節分
2月 4日(金):立春
2月20日(日):ズーム会議
※2021年度確定申告(2022年2月16日~2022年3月15日)
◎民権林園
☆収穫:里芋(並作)
☆種蒔:ジャガイモ
☆花々:菜花(黄)、梅(紅・白)、水仙(白・黄)、山茱萸(黄)、空豆の花(白・紫)、蒲公英(黄)
◎異常気象・災害・感染症
▼札幌駅周辺で記録的大雪、除雪作業難航。
◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(2月)
□通信『評論№223』日本経済評論社2022年1月
□会報『秩父№206』「菊池貫平の墓碑」等、秩父事件研究顕彰協議会2022年1月
《COVID-2019 新百人一首》 英文落首Ⅲ
★房総自由民権資料館は、本年創立10周年を迎えます。オンラインの Digital Museum 開設から通算すると24周年ということになります。これまで御来館、御支援賜った全国各地域の皆様に心より御礼申し上げます。
★24年間書き継いだブログは、下欄の「象の耳・象の鼻集成コーナー」で公開しております。御手隙の折に御笑覧をお願い申し上げます。
★今月も「新百人一首」(落首)の英訳 New 100 Poems by 100 Poets を続けましょう。.
21 Sosei
息を吞む It's a breathtaking sight.
海底火山の Above the submarine volcano near the Tonga Islands,
大噴火 The largest eruption in a thousand years occured.
荒れにし海を On the rough ocean,
彷徨(さまよ)いしかな Are the victims wandering?
53 Mother of Michitsuna
嘆きつつ Grieving for Pandemic in the back street of Ginza,
九時看板の She could'nt help but close her small restaurant at 9:00p.m.
時短金(じたんきん) And recieve a subsidy for cooperation.
如何(いか)に虚(むな)しき How empty it is,
ものなるか知る She knows in these days.
※「看板」は1日の営業終了、「時短金」は営業時間短縮への協力金。
56 Izumi Shikibu
あの世へと At the gate to heaven,
呼吸器胸に You are putting the artificial respirator
挿しつつも On your chest.
今一度(ひとたび)は One more time,
詠むこともがな You will wish to compose a poem.
57 Murasaki Shikibu
巡り逢い You met each other
幾歳月(いくとせつき)を And for many years,
遥々(はるばる)と You have been walking a long way.
苦しみ悩み Both suffering and worries
尽きぬ星影 Will never go away under the starlight.
62 Sei Shonagon
夜もすがら All through the night
兵庫老健(ろうけん) At the Long-Term Care Health Facility in Hyogo,
クラスター The cluster of senior citizen happened.
呼べど救急 You call the emergency medical care center
入院許さじ But you were refused to stay in the hospital.
※「老健」は介護老人保健施設。
93 Sanetomo
世の中は In the modern society
医と利の間(はざま) Between the medical treatment and the economic benefits,
行き戻り We must go back and forth.
数多(あまた)の命 Many precious lives
失われしも Are lost as a result.
※「医」は命、「利」は経済。
★田辺聖子『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫1991)、井上宗雄『百人一首・王朝和歌から中世和歌へ』(笠間書院2004)、ピーター・J・マクミラン『英語で読む百人一首』(文春文庫2017)を精読しました。井上宗雄先生(故人)は房総の民権家の御子孫です。
《掲示板》
◎5月の行事
5月 7日(土):薫陶忌
5月20日(金):三省忌
5月29日(日):梅もぎ(梅干し作業)
◎民権林園
☆収穫:空豆(並作)、玉葱(並作)、馬鈴薯(並作)
☆種蒔:胡瓜、ミニトマト、茄子
☆花々:蒲公英(黄)、蓮華草(紫・白)、薔薇(エリザベス・赤,サマースノウ・白,ヴァレリーナ・桃)
◎異常気象・災害・感染症
▼インドで記録的熱波、小麦の輸出に影響。
◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(5月)
□Edited by Jun Ui,Industrial Pollution in Japan,United Nations University
Press,1992
□書籍『茂原市史調査報告書 第七集』茂原市教育委員会2022年3月1日
□書籍『田中正造大学35年の歩み』田中正造大学2022年3月30日
□紀要『自由民権35号』町田市教育委員会2022年3月31日
□雑誌『民権ブックス34号・石阪昌孝の生涯』2022年3月31日
□書籍『写真に見る四街道の歴史』四街道市2022年3月
□チラシ「大筒と陣羽織」いすみ市郷土資料館2022年5月14日~7月31日
□チラシ「高知市立自由民権記念館企画展記念講演会」高知近代史研究会・高知市立自由民権祈念館2022年6月11日
《自由民権と漢詩の平仄》
☆本年は創立10周年を迎えます。オンラインの Digital Museum 開設から通算すると24周年ということになります。
☆今月は『藤公詩存』所載の漢詩を読んでみましょう。伊藤博文(春畝)は、幕末維新期に非業の死を遂げた人物を追悼する漢詩を多く残しています(末松謙澄編『藤公詩存』1910年)。
・明治十一年五月甲東(こうとう)翁薨後(こうご)七日友人某(ぼう)の家に會(かい)す席上偶作(1878年) ※甲東は「大久保利通」。
・林子平(はやし・しへい)墓前の作(1884年)
・己丑(きちゅう)晩秋の日、木賀(きが)温泉に浴す、寓樓壁間に容堂、松菊二翁の詩幅を挂(か)く、之(これ)を讀みて今昔の感に堪えず、即ち其の韻に仍って二絶を賦す(1989年) ※容堂は「山内容堂」、松菊は「木戸孝允」。
・京都の作(1890年)
・清狂(せいきょう)草堂を過ぎる(1890年) ※清狂は僧「月性」。
・櫻山(さくらやま)招魂塲(しょうこんじょう)感を志(しる)す(1890年)
・信州に遊び象山(しょうざん)先生を弔(ちょう)す(1899年)
・福井に橋本景岳先生の墓を弔(ちょう)す(1899年)
・松菊(しょうぎく)翁の韻を用(もち)う(1901年)
・飯田氏の壁間に南洲の詩を挂く、因(よ)って其の韻を用い卒(にわか)に賦す(1909年)※南洲は「西郷隆盛」。
・己酉(きゆう)五月松菊先生の墓に題す(1909年)
・旅順(1909年)
・二百三高地(1909年)
・露国(ろこく)忠魂碑(1909年)
☆先ずは七言絶句の平仄です。
「従露京到獨都車中作」
志欲扶持大厦傾 ↓平仄の模範図譜
●●○○●●○ ●●○○●●○
縦横到處策連衡
◎◎●●●○○ ○○●●●○○
此中辛苦経営事
●◎○●◎○● ○○●●○○●
誰記葵心向日誠
○●○○●●○ ●●○○●●○
(末松謙澄編『藤公詩存』1910年)
☆仄起の七言絶句で平仄の図譜(定式)通りに作詩されています。記号の〇は平声、●は仄声、◎は両用。二四不同、二六対、下三連不可、弧平忌避の原則が有りますが、第1字と第3字は緩やかです(三浦梅園『詩轍』1786年、小川環樹『唐詩概説』第6章岩波文庫2005年)。押韻(傾・衡・誠)は下平の八庚です。
☆訓読
「露京(ろけい)従(よ)り獨都(どくと)に到る車中(しゃちゅう)の作」
志(こころざし)扶持(ふじ)せんと欲(ほっ)すれば大厦(たいか)傾く
縦横(じゅうおう)到(いた)る處(ところ)連衡(れんこう)を策す
此(こ)の中(うち)の辛苦(しんく)経営の事(じ)
誰(たれ)か記(き)せん葵心(きしん)向日(こうじつ)の誠(せい)
☆注釈
起句の「露京」はペテルブルク、「獨都」はベルリンです。承句の「大厦」は大きな建物ですが、詩集註記に「支那保全策」と有ります。キーワードは「三国干渉」と「臥薪嘗胆」でしょう。転句の「連衡」は同盟を結ぶこと、結句の「葵心」は思慕を意味します。1901(明治34)年、伊藤博文は米国(セオドア・ルーズベルト)、露西亜(ニコライ2世)、独逸(ヴィルヘルム2世)、英国(エドワード7世)を歴訪して帰国しました。「日露協商」や「日英同盟」交渉に関する情報収集が目的であったようです(楢原吼堂編訳『註譯
藤公詩集』忠文堂1918年、春畝公追頌会編『伊藤博文傳(上巻・中巻・下巻)』統正社(1940~1943年)。
《掲示板》
◎6月の行事
6月 4日(土):パワポ・プレゼンテーション(自由民権と漢詩)
6月19日(日):当館創立10周年
※梅干し漬込作業
◎民権林園
☆収穫:馬鈴薯(豊作)
☆植付:胡瓜、ミニトマト、茄子、薩摩芋
◎異常気象・災害・感染症
▼日本国内各地で突風、雹の被害。
◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(6月)
□印西市史編さん委員会編『印西の歴史第13号』2022年3月
□成田市立図書館編『成田市史研究第46号』成田市教育委員会2022年3月
□チラシ「大筒と陣羽織」いすみ市郷土資料館2022年5月14日~7月31日
□会報『秩父№208』秩父事件研究顕彰協議会2022年5月 ※宮川津盛の墓碑写真と解説
□チラシ「高知市立自由民権記念館企画展記念講演会」高知近代史研究会・高知市立自由民権記念館2022年6月11日
□冊子『思文閣古書資料目録・第273号』2022年6月
《自由民権と漢詩の平仄》
☆当館は6月19日に創立10周年を迎えます。この10余年間には津波原発被災、異常気象災害、パンデミックが有り、今や世界経済戦争とインフレです。悠々自適の余生は吹き飛んでしまいました。
☆6月も『藤公詩存』所載の漢詩を読んでみましょう。伊藤博文(春畝)は非業の死を遂げた人々を追悼する漢詩を多く残しています(前述)。
☆七言絶句の平仄
「露国忠魂碑」
丘塚累々不記名 ↓平仄の模範図譜
〇●◎◎◎●○ ●●○○●●○
生霊幾萬作犠牲
〇〇◎●●○○ ○○●●●○○
堪憐今古蟲沙恨
〇〇〇●〇○● ○○●●○○●
手薦寒花涙自横
●●○○●●○ ●●○○●●○
(前掲『藤公詩存』)
※記号の〇は平声、●は仄声、◎は両用です。二四不同、二六対、下三連不可、弧平不可の原則が有りますが、第1字と第3字は緩やかな規定です。押韻(名・牲・横)は下平の八庚です。仄起の七言絶句で、28字中26字が平仄の図譜通り(92.9%)に作詩されています(三浦梅園『詩轍』1786年、小川環樹『唐詩概説』第6章岩波文庫2005年)。
☆訓読
「露国(ろこく)忠魂碑」
丘塚(きゅうちょう)累々(るいるい)名を記(しる)さず
生霊(せいれい) 幾萬(いくまん)犠牲と作(な)る
憐れむに堪(た)えたり今古(きんこ)蟲沙(ちゅうさ)の恨み
手ずから寒花(かんか)を薦(すす)めれば涙自(おのず)から横たわる
(『譯註藤公詩集』忠文堂書店1918年参照)
☆注釈
1909(明治42)年10月の作です。起句の「丘塚」は無名兵士(露西亜側)の土饅頭の墓です。承句の「生霊」は戦死した無数の兵士を指すでしょう。前掲『譯註藤公詩集』に、転句の「蟲沙」は虫の鳴く音と注記されています。結句の「涙横たわる」は「涙横(あふ)れる」と訓読するほうが適切かもしれません。
この七言絶句について、「伊藤には戦争のむなしさと、日本人のみならずロシア人の兵士たちの犠牲をも思いやる感受性があった」という指摘があります(『伊藤博文』講談社2009年)。伊藤博文(春畝)は日本側の戦死者について、同年同月作の七言絶句「二百三高地」に、「一萬八千埋骨(まいこつ)の山(承句)」「今日(こんにち)登臨(とうりん)無限の感(転句)」と吟じています(訓読は引用者)。
* * * * * * * * * *
☆次に自由党総理の板垣退助作として伝えられる漢詩(「戊辰作」、「薩喝連洋中作」、「咏史」)を鑑賞してみましょう。先ずは戊辰戦争(1868~1869年)の頃の七言絶句です。
☆上条螘司(かみじょう・ありじ)編『明治回天集・下』(1880年11月)所載の七言絶句
戊辰作
出師未曾汚天兵 ↓平仄の模範パターン
●○●○◎○○ ○○●●●○韻
一死只期竹帛名
●●●○●●○ ●●○○●●韻
連發弾丸亂如雨
◯●◎○●◎● ●●○○◯●●
挺身壯士躍登城
●○●●●○○ ○○●●●○韻
(前掲『明治回天集・下』)
※平仄記号の◯は平声(ひょうしょう)、●は仄声(そくせい)、◎は平仄両用です(三浦梅園『詩轍』1786年、林古溪編・石川忠久補『平仄字典新版』明治書院2013年参照)。
☆訓読
戊辰(ぼしん)の作(さく)
師(し)を出(いだ)し 未(いま)だ曾(かつ)て天兵(てんぺい)を汚(けが)さず。
一死(いっし) 只(ただ)期(き)す 竹帛(ちくはく)の名(な)。
連發(れんぱつ)弾丸(だんがん)乱(みだ)るること雨(あめ)の如(ごと)し。
挺身(ていしん)壮士(そうし)躍(おど)って城(しろ)に登(のぼ)らん。
(前掲『明治回天集・下』の訓点参照)
☆注釈と詩意
平起(起句の第二字が平声◯)の七言絶句で、押韻(兵◯・名◯・城◯)は下表八庚(かひょうはっこう)です。七言絶句と七言律詩の場合、平仄の五原則は、①二四不同(にしふどう)、②二六対(にろくつい)、③下三連不可(あさんれんふか)、④弧平不可(こひょうふか)、⑤第七字の押韻同一です(前掲『平仄字典新版』参照)。
板垣の「戊申作」は、28字中22字が模範パターンと一致しています。不規則な配字(二四不同の逸脱)が起句の第四字(曾◯)に見られますが、第三字と第四字を入れ替えて「曾◯未●」とすれば「二四不同」に合致します。李白に「曾未」の例が有ります(小川環樹『唐詩概説』岩波文庫2005年参照)。
起句の「師」は軍隊、「天兵」は天皇の兵士です。承句の「竹帛」は歴史書、転句の「連發」は連発銃です。結句の「壮士」は、板垣退助の部下であった討幕派の隊士達を意味するでしょう。
同書の評点を担当している著名な漢学者の岡鹿門(おか・ろくもん)は、「大兵(たいへい)を督(とく)し、八州(はっしゅう)転戦(てんせん)、到(いた)る処(ところ)捷(しょう)を奏(そう)す、何等(なんら)の快(かい)。」と短評を記しています。「八州」は日本列島の異名、「捷」は勝ち戦(いくさ)を意味します。
『明治回天集・上下』の編者の上条螘司は、長野県の民権結社「奨匡社(しょうきょうしゃ)」の総代です(『自由黨史・上巻』五車樓1910年)。『明治回天集・上下』に跋文を寄せている林正明(はやし・まさあき)は熊本県細川藩出身で、自由党結党時の幹事です(上掲『自由黨史・上巻』)。林正明は『万国政談』、『合衆国憲法』等の著者でした。
日本漢詩史の時期区分と板垣退助の詩史上の位置については、すでに安東英男『日本漢詩百選』(大陸書房1977年)に記述が有り、江戸後期を「円熟期」、明治維新期は「普及期」、明治以降を「衰退期」と規定しています。尚、板垣の前半生については『板垣退助伝記資料集』(高知市立自由民権記念館2020年~)を参照しました。
☆内田尚長編『近世英傑詩歌集・坤』(1878年1月)所載 ※異稿①(初出)
出師未曾汚天兵
一死只期竹帛名
彈子飛行亂如雨
喜看壯士躍登城
※内田尚長は愛媛県出身で、『増輯・詩韻含英異同辨』(ぞうしゅう・しいんがんえいいどうべん)の編者です。
☆小池洋次郎『日本民権家言行録初篇・上巻』(1881年11月13日)所載 ※異稿②
出師未曾汚天兵
一死只期竹帛名
彈子飛行乱如雨
喜見壯士躍登城
※著者の小池洋次郎は、他に『民権家列伝初篇』(巖々堂1880年12月)等の著書が有ります。
☆山岸文藏編輯『明治民権家詩文』(1881年)所載 ※異稿③
出師未曾汚天兵
一死只期竹帛名
彈子飛行乱如雨
喜見壯士躍登城
※編者の山岸文藏については、奥付に長野県平民と記載されています。
☆熊谷辰治郎編『青年常識叢書第1編・ 青年愛誦集』(日本青年館1938年11月5日)所載 ※異稿④
出師未曾汚天兵
一死只期竹帛名
彈丸飛行亂如雨
喜看壯士躍登城
※編者の熊谷辰治郎については『熊谷辰治郎全集』が出版されています。
(この項続く)
《掲示板》
◎7月の行事
7月16日(土):無形忌(板垣退助命日)
7月18日(月):みんけん館通信第19号発行
7月31日(日);塩漬梅(民権林園栽培)の天日干し作業
◎民権林園
☆収穫:青紫蘇(豊作)、赤紫蘇(豊作)、プラム(豊作)
☆植付:大豆、ピーマン。南瓜、ゴーヤ、茄子、オクラ
◎異常気象・災害・感染症
▼能登半島で群発地震続く
▼中国河南省で長雨洪水被害
◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(7月)
□チラシ「大筒と陣羽織」いすみ市郷土資料館2022年5月14日~7月31日
□『要覧』高知市立自由民権記念館2022年6月
□目録『第57回七夕古書大入札会』明治古典会2022年7月
《自由民権と漢詩の平仄》
☆上条螘司(かみじょう・ありじ)編『明治回天集』(1880年11月)の下巻に、板垣退助作として輯録されている漢詩を鑑賞してみましょう。今月は軍記物の『平家物語』を題材にしたと思われる七言絶句「咏史(えいし)」です。
☆咏史
歌篇登選死何恨 ↓平仄の模範パターン ※律詩後半パターン
◯◯◯●●◎● ○○●●◯○●
去蹈海南雲幾程
◎●●○○●○ ●●○○●●韻
千載香風吹不絶
◯●○◎◎●● ●●○○◯●●
春煙一樹故都櫻
◯◯●●●○○ ○○●●●○韻
(前掲『明治回天集・下』)
※平仄記号の◯は平声(ひょうしょう)、●は仄声(そくせい)、◎は平仄両用です(三浦梅園『詩轍』1786年、林古溪編・石川忠久補『平仄字典新版』明治書院2013年参照)。
☆訓読
咏史(えいし)
歌篇(かへん)選(せん)に登(の)り死(し)何(なん)ぞ恨(うら)まん
去(さ)って蹈(ふ)む海南(かいなん)雲(くも)幾程(いくほど)
千載(せんざい)香風(こうふう)吹(ふ)き絶(た)えず
春煙(しゅんえん)一樹(いちじゅ)故都(こと)の櫻(さくら)
(前掲『明治回天集・下』の訓点参照)
☆注釈と詩意
平起(起句の第二字が平声◯)の七言絶句で、押韻(程◯・櫻◯)は下平八庚(かひょうはっこう)です。前述したように七言の場合、平仄の五原則は、①二四不同(にしふどう)、②二六対(にろくつい)、③下三連不可(あさんれんふか)、④弧平不可(こひょうふか)、⑤第七字の押韻同一です(前掲『平仄字典新版』参照)。
前述の「戊辰作」とは異なり、板垣退助は起句の押韻を踏み落としています。起句の第七字を「恨●」としています。七言絶句の模範パターンは七言律詩の前半四句でも後半四句でも良いとされていますので(小川環樹『唐詩概説』岩波文庫2005年)、平仄の不規則とは成りません。
「咏史」は「詠史」と同義です。起句の「歌篇」は、恐らく平忠度(たいらの・ただのり)の詠んだ名歌です。忠度(忠教)は「一ノ谷の戦い」で他界しました。
承句の「海南」は四国の別名です。「海南自由党」は高知県の代表的な民権結社「立志社」の後身でした。
転句の「千載」は、藤原俊成撰の『千載和歌集』を指すでしょう。同集には「かをる香のたえせぬ春は梅の花吹きくる風やのどけかるらん」(18)の秀歌が有ります。
結句の「故都」は「さざ波や志賀の都は荒れにしをむかしながらの山ざくらかな」(『平家物語』「忠度都落」、『千載和歌集』「春歌上」66)の近江京と思われます。
評点を担当した岡鹿門(おか・ろくもん)は、「猶(なお)是(これ)風人(ふうじん)音吐(おんと)」と短評を記しています。「風人」は風流人または文人・詩人を意味し、「音吐」は話すときの声のひびきです。板垣退助は書く人ではなく、話す人であったと云います。
元仙台藩士で漢学者の岡鹿門(千仭)は、元熊本藩士の林正明(自由党幹事)と共に『明治回天集』に「跋」(全漢文)を寄せています。「秋夜(しゅうや)據梧(ごにより)。翻讀(ほんどく)此巻(このまき)。忽而(たちまちにして)腥風(せいふう)颯起(さっき)。鬼気(きき)襲座(ざをおそう)。(後略)」と有ります(訓読は引用者)。「翻讀」は「繙読(はんどく)」、「梧」は梧桐(あおぎり)の「机」の意でしょう。
☆当館は『明治回天集』編者の上条螘司について、有賀義人・千原勝美編『奨匡社資料集』信州大学教育学部松本分校奨匡社研究会1963、西田長寿編『東洋自由新聞(復刻版)』東京大学出版会1964、有賀義人『上条螘司の自由民権運動とその背景』信州大学教養部奨匡社研究会1967、中島博昭『鋤鍬の民権』銀河書房1974、有賀義人『信州の民権家・市川量造とその周辺』同書刊行会1976、上条宏之『地域民衆史ノート』銀河書房1977、上条螘司編輯専門委員会編『上条螘司━「自由の花」を求めて』同書刊行会1996、松沢求策顕彰会『松沢求策ものがたり』信濃毎日新聞社2001を架蔵しています。
☆小池洋次郎『日本民権家言行録初篇・上巻』(供泉堂1880年11月13日)所載「咏史」(異稿①)
謌篇先入死何怨
去蹈海南雲幾程
千載香風吹不絶
春煙一樹故都櫻
※同書の「板垣退助小伝」に掲載、著者の小池洋次郎は同書奥付に「東京府士族」と記載されています。
☆山岸文藏編輯『明治民権家詩文・上』(東京書林1881年3月10日)所載「咏史」(異稿②)
歌篇先入死何怨
去蹈海南雲幾程
千載香風吹不絶
春煙一樹故都櫻
※編者の山岸文藏は長野県出身で、『近衛砲兵暴発録』(1878年)や『国会論続編』(甘泉堂1880年)等の編著が有ります。特に『国会論続編』は、桜井静(さくらい・しずか)の憲法草案を全文(51箇條)掲載している貴重な資料です。
☆上掲『明治民権家詩文・上』に輯録されている詩文は以下の通りです。
・板垣退助(七言絶句2首)
・後藤象二郎(七言絶句1首)
・中島信行(七言絶句1首)
・秋月種樹(檄文)
・沼間守一(五言絶句2首・七言絶句1首)
・成嶋柳北(七言絶句1首・七言律詩1首)
・植木枝盛(演説稿)
・松澤求策(七言古詩1首)
・小田切謙明(上白)
・鳥尾小彌太(七言絶句1首)
《掲示板》
◎8月の行事
8月15日(月):「みんけん館通信№19」発送
8月19日(金):ズーム研究会
8月31日(水);雑誌原稿執筆
◎民権林園
☆収穫:青紫蘇(豊作)、オクラ(豊作)、枝豆(並作)、ミニトマト(並作)、生姜(並作)、ピーマン(並作)、南瓜(並作)、西瓜(並作)
☆植付:秋ジャガ
☆花々:茄子の花(紫)、大豆の花(白)、百日紅(赤)、南瓜の花(黄)、夾竹桃(赤)、オクラの花(白)
◎異常気象・災害・感染症
▼青森県、秋田県、山形県、新潟県で線状降水帯、土砂災害発生。
▼フランスで異常熱波、記録的な旱魃被害。
▼中国内陸部で旱魃、水力発電に深刻な影響。
◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(8月)
□会報『福島自由民権大学通信29号』2022年7月20日
□冊子『思文閣古書資料目録第274号』2022年7月
□通信『評論№225』日本経済評論社2022年7月
□会報『秩父№209』秩父事件研究顕彰協議会2022年7月※柴岡熊吉の墓碑
□書籍『関東大震災-描かれた朝鮮人虐殺を読み解く』新日本出版社2022年8月10日
□チラシ「高知近代史研究会・第110回研究会」2022年8月27日(於高知市立自由民権記念館)
《自由民権と漢詩》
☆外房の鴨川市(人口3万人余)でも、1日に50人以上の新型コロナ感染者が確認されています(7月末現在)。感染者は自宅療養が187人、入院が12人、ホテル療養が2人です(同市HP)。近隣の南房総市や館山市でも同様です。
☆第7波の到来ですが、未だに国産ワクチンや治療薬を開発できないようです。小国の科学技術立国の限界と言えるでしょう。官房長官や首相が感染する深刻な事態となりました。8月に入ってから、内房・外房の海岸線の総合病院に、軒並みクラスターが発生しています。
☆旧作の落首「太平ノユガミガマネクワクチン禍ツクレズウレズキカズ寝ラレズ」。1000万人都市に次々と「ゼロコロナ策」を実施する愚直な大国に、心底から敬意を表したいと思います。
☆今月は『明治回天集』(1880年)の下巻に、中島信行(自由党副総理・初代衆院議長)作として収録されている漢詩を鑑賞してみましょう。
☆中島信行(1846~1899)の七言絶句に対して、討幕運動の盟友であった陸奥宗光(海援隊時代の同志で義兄)と伊藤博文(兵庫県庁時代の同僚)の「次韻(じいん)」(同一の韻で応じること)も収録されています。陸奥宗光(1844~1897)には漢詩集の『福堂遺稿』(1907年)等が有り、伊藤博文(1841~1909)には漢詩集の末松謙澄編『藤公詩存』(1910年)が残されています。
☆中島信行(兵庫県権判事・高知県出身)「書懐」 ※中島の号は「長城」、後添の俊子の号は「湘烟」。
憂国真情日覺深 ↓平仄の模範パターン
◎●◯◯●●◯ ●●◯◯●●韻
何時事業得素心
◎◯●●●●◯ ○○●●●◯韻
紛々不菅世人笑
◯◯◯●●◯● ◯◯●●◯◯●
興起皇基在當今
◎●◯◯●●◯ ●●◯◯●●韻
(前掲『明治回天集・下』)※青字は模範パターンとは異なる漢字。
※平仄記号の◯は平声(ひょうしょう)、●は仄声(そくせい)、◎は平仄両用です(三浦梅園『詩轍』1786年、林古溪編・石川忠久補『平仄字典新版』明治書院2013年参照)。
☆訓読「懐(おも)いを書(しょ)す」
憂国(ゆうこく)の真情(しんじょう)日(ひ)に深(ふか)きを覚(おぼ)え
何(いづ)れの時(とき)か事業(じぎょう)素心(そしん)を得(え)ん
紛々(ふんぷん)菅(かん)せずんば世人(せじん)笑(わら)い
興起(こうき)す、皇基(こうき)当(まさ)に今(いま)に在(あ)るを
(小池洋次郎著『日本民権家言行録』供泉堂1880年の訓点を参照)
☆注釈と詩意
仄起(起句の第2字が仄声●)の七言絶句で、押韻(深◯・心◯・今◯)は下平十二侵(かひょうじゅうにしん)です。七言絶句の場合、平仄の五原則は、①二四不同(にしふどう)、②二六対(にろくつい)、③下三連不可(あさんれんふか)、④弧平不可(こひょうふか)、⑤第七字の押韻同一です(前掲『平仄字典新版』参照)。
題名の「書懐」は、「しょかい」と訓読することも有ります。起句の「憂国」は「国を憂うる」と訓読している出版物も有ります(下欄参照)。
承句の「素(●)心(◯)」は「二六対」の原則に違反しています。原則通りにするためには、例えば「初(◯)心(◯)」と修正する必要が有るでしょう。陸奥宗光と伊藤博文の「次韻」(後述)にはこういう不規則は見当たりません。
転句の「紛々」は意見が分かれて混乱するという意味です。明治初年の「紛々」は戊辰戦争と版籍奉還を巡るものでしょう。転句には異稿が有り(後述)、「敢(あ)えて買(か)わんや、小説(しょうせつ)世人(せじん)笑(わら)う」と記載されています。この異稿は大変人間臭い詩句と言えます。
結句の「皇基」という語彙については「五箇条の誓文」(1870年3月14日)に、「智識ヲ世界ニ求メ、大ニ皇基ヲ振起スベシ」と記されています。結句も種々の訓読が有ります。変革の時代の緊張感が漂っていると思われる訓読を採りました。訓読によって詩意が変わるような気もしています。
☆異稿
・太田真琴編『近世詩史』(1877年)所載の「書懐」(初出)
・小池洋次郎著『日本民権家言行録』(供泉堂1880年)所載の「書懐」
・山岸文藏編『明治民権家詩文』(東京書林1881年)所載の「書懐」
憂国真情日覺深
何時事業得素心
敢買小説世人笑
興起皇基在當今
(前掲『近世詩史』)
※赤字部分が異稿ですが、訓点はそれぞれ異なっています。煩瑣になりますので訓点の相違は省略させて頂きます。
☆陸奥宗光(摂津県知事・和歌山県出身)の次韻「次中島君韻(なかじまくんのいんにじす)」
福海投身不厭深 福海(ふくかい)に身を投じ深きを厭(いと)わず
●●◯◯◯●◯ ●●◯◯●●韻
為君常抱此丹心 為(ため)に君(きみ)常に抱(いだ)く此(こ)の丹心(たんしん)
◎◯●●●◯◯ ○○●●●◯韻
従来窮達慿天命 従来(じゅうらい)の窮達(きゅうたつ)天命に慿(よ)る
◎◎◯●◯◯● ◯◯●●◯◯●
豈有人情違古今 豈(あに)人情古今(ここん)に違(ちが)い有らんや
●●◯◯◯●◯ ●●◯◯●●韻
(訓読は前掲『近世詩史』の訓点を参照)
※赤字部分が見事な同韻(深・心・今)になっています。陸奥は中島の義兄(最初の妻の兄)で、二人の氏名は宮地佐一郎『龍馬の手紙』(講談社学術文庫2003年)に頻出します。同書には1867年の陸奥宗光宛の坂本龍馬書状が5通集録されています。中島作之助(信行)の名前は、1867年の木戸孝允宛書状、お龍宛書状、岡内俊太郎宛書状、後藤象二郎宛書状に登場します。
☆伊藤博文(兵庫県知事・山口県出身)の次韻「次中島君韻(なかじまくんのいんにじす)」
報国真情誰識深 報国の真情誰(たれ)か深きを識(し)らん
●●◯◯◯●◯ ●●◯◯●●韻
非君無復語斯心 君に非(あら)ずんば復(ま)た斯(こ)の心を語る無し
◎◯◯●●◯◯ ○○●●●◯韻
請看別代英雄業 請う看(み)よ別代(べつだい)英雄の業(ぎょう)
●◯●●◯◯● ◯◯●●◯◯●
時勢變遷古似今 時勢(じせい)変遷(へんせん)古(いにしえ)今(いま)に似たり
◯●●◯●●◯ ●●◯◯●●韻
(訓読は註譯『藤公詩集』忠文堂書店1918年を参照)
※赤字部分が巧みな同韻(深・心・今)です。春畝公追頌会編『伊藤博文傳(上巻)』(1943年)には、兵庫県知事時代の伊藤博文と権判事であった中島作太郎(信行)の連名書簡(五代友厚宛)が紹介されています。同書に拠れば、伊藤が兵庫県知事であったのは、1868年の5月から1869年の4月迄です。上掲三首はその頃の漢詩と推定しています。
《掲示板》
◎9月の行事
9月 2日(金);原亀太郎顕彰忌
9月 9日(金);2019台風15号被災記念日
9月23日(金):秋分の日、墓参
9月30日(金):雑誌原稿校正
◎民権林園
☆収穫:オクラ(豊作)、ピーマン(並作)、南瓜(並作)
☆植付:
☆花々:大豆の花(白)、百日紅(赤)、オクラの花(白)
◎異常気象・災害・感染症
▼中国で記録的な旱魃。
▼パキスタンで大洪水、国土の三分の一水没。
▼アフリカ東部で大旱魃、食糧危機。
▼カナダで大ハリケーン被害。
◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(9月)
□記念誌『50年のあゆみ』千葉県高等学校退職教職員の会2022年6月11日
□書籍『関東大震災-描かれた朝鮮人虐殺を読み解く』新日本出版社2022年8月10日
□抜刷『「上総國儒者織本東岳」研究ノート』日本近現代史研究会2022年8月
□スケッチ画7点「風景・静物・オートバイ等」2022年9月
《自由民権と漢詩》
☆民権家の上條螘司(松本奨匡社)が編輯した『明治回天集』(1880年)上巻には、幕末の「安政の大獄」で弾圧された思想家の漢詩が数多く採録されています。皆、後世に語り伝えられるような「獄中詩」や「辞世」を詠んでいます。
☆投獄された佐久間象山(1811~1864)は8首、投獄されて刑死した吉田松陰(1830~1859)は8首収録されています。刑死した橋本景岳(1834~1859)は2首、同じく頼三樹(1825~1859)は2首、投獄され牢内で病死した梅田雲浜(1815~1859)は2首収録されています。薩摩の海で入水後に奄美大島へ流刑となった西郷南洲(1827~1877)は、7首収録されています。
☆今月は、『明治回天集』(117名、約230首)に所載の吉田松陰の見事な漢詩を鑑賞しましょう。最晩年(1859年)の七言律詩です。
☆吉田松陰(寅次郎)「檻車過京有感」
帯涙弧囚有孰悲 ↓平仄の模範
●●◯◯●●◯ ●●◯◯●●韻
檻輿今日過亰師
●◯◯●◎◯◯ ○○●●●◯韻
上林暑到清陰縮
●◯●●◯◎● ◯◯●●◯◯●
大道霖餘蔓草滋
●●◯◯●●◯ ●●◯◯●●韻
生死於吾非大事
◯●◯◯◎●● ●●◯◯◯●●
乾坤無愧是男兒
◯◯◯●●◯◯ ○○●●●◯韻
他年若遇源公問
◯◯●●◯◯● ◯◯●●◯◯●
為報寅終不負知
◎●◯◯◯●◯ ●●◯◯●●韻
(前掲『明治回天集』上巻)
※平仄に一つの不規則も無く、ほぼ完璧な律詩。平仄記号の◯は平声(ひょうしょう)、●は仄声(そくせい)、◎は平仄両用です(三浦梅園『詩轍』1786年、林古溪編・石川忠久補『平仄字典新版』明治書院2013年参照)。
☆訓読「檻車(かんしゃ)京師(けいし)を過(す)ぎ感(かん)有(あ)り」
涙(なみだ)を帯(お)ぶる弧囚(こしゅう)、孰(た)れか有(あ)って悲(かな)しまん
檻輿(かんよ)今日(こんにち)亰師(けいし)を過(す)ぐ
上林(じょうりん)暑(あつ)さ到(いた)り清陰(せいいん)縮(ちぢ)む
大道(だいどう)霖(ながあめ)余(のこ)り蔓草(まんそう)滋(しげ)る
生死(せいし)吾(われ)に於(お)いて大事(だいじ)に非(あら)ず
乾坤(けんこん)愧(は)づ無(な)き是(こ)の男児(だんじ)
他年(たねん)若(も)し源公(げんこう)の問(と)うに遇(あ)わば
為(ため)に報(ほう)ぜん、寅(とら)終(つい)に知(し)りぬ負(ま)けざることを
(福本義亮著『訓註吉田松陰殉国詩歌集』誠文堂新光社1937年、山口縣教育會編『吉田松陰全集・第七巻』岩波書店1939年を参照)
※1859(安政6)年6月12日の作。「檻輿」は江戸へ護送する車、「亰師」は京都、「上林」は御所の庭園、「源公」は公家の大原重徳(しげとみ)、「寅」は吉田寅次郎(松陰)。「不負知」は「不敗知」で、『孫子』の「不可勝者守也(かつべからざるものはしゅなり)」(形篇)に因るか。
☆注釈と詩意
仄起(起句の第2字が仄声●)の七言律詩で、押韻(悲◯・師◯・ 滋◯・兒◯・知◯)は上平四支(じょうひょうしし)です。七言律詩の場合、七言絶句と同様に平仄の五原則は、①二四不同(にしふどう)、②二六対(にろくつい)、③下三連不可(あさんれんふか)、④弧平不可(こひょうふか)、⑤第七字の押韻同一です(前掲『平仄字典新版』参照)。
第3句と第4句(頷聯)は対句で「上林」と「大道」、「清陰」と「蔓草」が対応しています。「到」と「余」、「縮」と「滋」も対応しています。第5句と第6句(頸聯)もやはり対句で「生死」と「乾坤」が対応していると言えるでしょう。
第4句の「大道」と第5句の「大事」に、「大」の字が2回使用されています。漢詩の入門的な注意事項に「同字(どうじ)重出(じゅうしゅつ)不可(ふか)」が有ります。大変革期の思想家の松陰は逸脱を全く意に介さず、「同字重出」の作例を多く残しています(来月詳述予定)。
第8句(尾聯)の訓読は、『訓註吉田松陰殉国詩歌集』では「為に報ぜよ」「終に知(ち)に負(そむ)かずと」になっていますが、当館独自に「為に報ぜん」「終に知りぬ負けざることを」としました。
漢学者の伊藤聴秋の短評は「五六(ごろく)満腔熱血(まんこうねっけつ)」と述べ、松陰の性格を良く捉えています。「五六」は第5句と第6句(頸聯)のことでしょう。漢学者の岡鹿門の短評は「松陰、公書(こうしょ)を上(じょう)し屡(しばしば)時事を論ず」と評しています。
『明治回天集』には、松陰の漢詩は「題肖像」(五言古詩)、「書急務條議後」(古詩)、「將西遊示諸友」(七言絶句)、「獄中作」(七言律詩)、「品川」(五言絶句)、「道上」(五言絶句)、「辞世」(五言絶句)も収載されています。
(この項続く)
《掲示板》
◎10月の行事
10月 2日(日);藤田東湖忌(1855震災死)
10月 7日(金);橋本左内忌(1859刑死)、頼三樹三郎忌(1859刑死)
10月27日(木):吉田松陰忌(1859刑死)
10月30日(日):ズーム大会(全国みんけん連)
◎民権林園
☆収穫:オクラ(大豊作)、薩摩芋(豊作)、枝豆(豊作)、富有柿(並作)
☆種蒔:空豆、菜花、蓮華草
☆花々:菊芋の花(黄)、大豆の花(白)、オクラの花(白)
◎異常気象・災害・感染症
▼米国フロリダ州で巨大ハリケーンによる大被害。
▼メキシコでハリケーンと豪雨被害。
▼アラスカで猛烈サイクロン。
▼オーストラリアで洪水被害。
◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(10月)
□遺著『自由民権の家族史』日本経済評論社2022年9月5日
□会報『秩父№210』秩父事件研究顕彰協議会2022年9月※新井周三郎の墓碑
□チラシ「2022年度総会・第3回大会(オンライン開催)」全国自由民権研究顕彰連絡協議会2022年10月30日(日)
□チラシ「板垣退助伝記資料集第13巻~第18巻」高知市立自由民権記念館2022年10月
《自由民権と漢詩》
☆今月は、『明治回天集』(117名、約230首)に収載された佐久間象山(1811~1864)と吉田松陰(1830~1859)による七言律詩の「次韻(じいん)」(和韻)を鑑賞しましょう。象山の「獄中冩懐」と松陰の「江戸獄中作」は、近世漢詩史上に聳え立つ「次韻」の最高峰とも言うべき律詩です。
☆佐久間象山「獄中冩懐」(七言律詩、平起、赤字は上平四支の押韻、1854年作)
不思城下作盟恥 平仄の模範例↓
◯◎○●●○● ◯◯●●●◯韻
卻見忠貞抱忌疑
●●○○●●○ ●●◯◯●●韻
伯昳議彊長崎嶴
●●●○●○● ●●◯◯◯●●
聖東假地下田湄
●○●●●○○ ◯◯●●●◯韻
異時軽敵已非策
●○◎●●◎● ◯◯●●◯◯●
今日伐謀知是誰
◯●●○○●○ ●●◯◯●●韻
幽憤満胸無所泄
◯●●○○●● ●●◯◯◯●●
獄中瀝血冩茲詩
●◎●●●○○ ◯◯●●●◯韻
(北澤正誠編『象山先生詩鈔・巻之上』日就社1878年、上條螘司編『明治回天集』1880年、信濃教育會編『増訂象山全集』信濃毎日新聞社1934年)
※平仄記号の◯は平声(ひょうしょう)、●は仄声(そくせい)、◎は平仄両用です(三浦梅園『詩轍』1786年、林古溪編・石川忠久補『平仄字典新版』明治書院2013年参照)。底本は上掲『増訂象山全集』です。上掲『明治回天集』では、第1句の「恥」は「耻」、第2句の「卻」は「却」、第8句の「玆」は「此」の異字が印刷されています。
☆訓読「獄中(ごくちゅう)懐(おも)いを写(しる)す」
城下(じょうか)に盟(ちかい)を作(な)すの恥(はじ)を思(おも)わず。
却(かえ)って忠貞(ちゅうてい)を見(み)て忌疑(きぎ)を抱(いだ)く。
伯昳(ペートル)彊(さかい)を議(ぎ)す長崎(ながさき)の嶴(みなと・くま・おき)。
聖東(ワシントン)地(ち)を仮(か)る下田(しもだ)の湄(はま・みぎわ・ほとり)。
異時(いじ)敵(てき)を軽(かろ)んずるは已(すで)に策(さく)に非(あら)ず。
今日(こんにち)謀(ぼう)を伐(う)つは知(し)んぬ是(こ)れ誰(たれ)ぞ。
幽憤(ゆうふん)胸(むね)に満(み)ちて泄(も)らす所(ところ)無(な)し。
獄中(ごくちゅう)血(ち)を瀝(そそ)ぎて玆(こ)の詩(し)を写(しる)す。
(安藤紀一『訓註吉田松陰先生 幽囚録』山口縣教育會1933年、『佐久間象山集』興文社1942年、『江戸漢詩選4志士』岩波書店1995年参照)
※訓読では旧字体の「耻」、「卻」、「假」を新字体の「恥」、「却」、「仮」に変換しました。
☆注釈と詩意
平起(起句の第2字が平声◯)の七言律詩で、押韻(疑◯・湄◯・ 誰◯・詩◯)は上平四支(じょうひょうしし)です。第1句の第7字「恥●」は韻を外(はず)しており、「踏み落とし」になっています。『明治回天集』所収の象山の七言律詩に対して、松陰の返詩もまた七言律詩で、押韻は「疑◯」、「湄◯」、「 誰◯」、「詩◯」の同一(どういつ)同順(どうじゅん)です。
両者は江戸伝馬町の牢獄に在ったにも拘らず(黒船乗艦未遂事件)、思想家2人による優れた獄中「次韻」(和韻)を後世に残しました。両者には同年の七言律詩「次韻」がもう1首ずつ有ります。他に珍しい五言古詩の「次韻」も有り、象山は1首「送吉田義卿」、松陰は2首「歩象山先生送別韻却呈二首」を残しています(後日詳述予定)。
七言律詩の場合、七言絶句と同様に平仄の五原則は、①二四不同(にしふどう)、②二六対(にろくつい)、③下三連不可(あさんれんふか)、④弧平不可(こひょうふか)、⑤第七字の押韻同一です(前掲『平仄字典新版』参照)。
第1句の「城下」と第4句の地名の「下田」は、同字(どうじ)重出(じゅうしゅつ)であり逸脱です。第3句の第6字「崎◯」が不規則(二六対違反)になりますが、「長崎」という地名なので平仄の乱れは仕方のない所でしょう。
第3句の「伯昳(ペートル)」は約300年間続いたロマノフ朝の第5代皇帝です。第4句の聖東(ワシントン)はアメリカ合衆国の初代大統領です。人名と地名による対句となっています。1853(嘉永6)年及び1854(安政元)年に来航した外国人司令官は、露西亜のプチャーチンと米国のペリーでした。
第5句と第6句も対句で、「異時」と「今日」が対応し、「軽敵」と「伐謀」も対応しています。「伐謀」という詩語は、『孫子』の「謀攻篇」に「上兵伐謀=最上の戦争は敵の陰謀を、その陰謀のうちに破ること」(『孫子』岩波文庫)とあり、それを踏まえたものでしょう。
コロナ禍にもかかわらず昨春刊行された『江戸漢詩選(下)』(岩波文庫2021年)は、第8句の「瀝血写玆詩」を「血を瀝(したた)らせて玆(こ)の詩を写(うつ)す」と訓読しています。なんとなく違和感を覚えたので、上掲『佐久間象山集』の訓点や、上掲『吉田松陰全集第1巻』所載「幽囚録」の訓読を確認し、「血を瀝(そそ)ぎて玆(こ)の詩を写(しる)す」としました。「心血をそそぐ」という文脈での解釈です。
詩意については『江戸漢詩選(下)』の294番に、大変分かり易い解説が有ります。一読を薦めますが、象山と松陰の「次韻」(和韻)であると記述されていませんので、或いは漢詩の醍醐味が半減するかもしれません。
佐久間象山は天才肌の人であったようです。しかしユーモラスで愉快な一面も有りました。「大砲を打ちそこなってべそをかき、あとのしまつをなんとしょうざん」という狂歌が伝わっています(『日本思想大系55、渡邊崋山・高野長英・佐久間象山・横井小楠・橋本左内』岩波書店1971年685頁)。
象山が開いた塾には多くの俊秀が参集しました(勝海舟・小林虎三郎・山本覚馬・吉田松陰・坂本龍馬・橋本左内・真木和泉等)。人脈も広く、尊攘派漢詩人の梁川星巌(やながわ・せいがん)夫妻(玉池吟社)と親しく交際したことが知られています(『梁川星巌全集・全五巻』梁川星巌全集刊行會1956~1958年)。
☆「獄中冩懐」異稿(青字部分) ※典拠は吉田松陰の手稿「幽囚録」。
城下(じょうか)盟(ちかい)を為(な)すの恥(はじ)を思(おも)はず。
却(かえ)って忠貞(ちゅうてい)を把(と)らへて忌疑(きぎ)を抱(いだ)く。
伯昳(ペートル)彊(さかい)を議(ぎ)す長崎(ながさき)の嶴(みなと)。
聖東(ワシントン)地(ち)を仮(か)る下田(しもだ)の湄(はま)。
異時(いじ)敵(てき)を軽(かろ)んず已(すで)に計(けい)に非(あら)ず。
今日(こんにち)の折衝(せっしょう)知(し)る是(こ)れ誰(たれ)なるかを。
幽憤(ゆうふん)胸(むね)に満(み)ちて泄(も)らす所(ところ)なく。
獄中(ごくちゅう)血(ち)を瀝(そそ)いで玆(こ)の詩(し)を録(しる)す。
(『幽囚録』和本全2冊土州御蔵板1868年、吉田庫三編『幽囚録』全1冊1891年、『吉田松陰全集第1巻』岩波書店1940年、奈良本辰也『吉田松陰著作選、留魂録・幽囚録・回顧録』講談社学術文庫2013年参照)
(2022年10月)
《掲示板》
◎11月の行事
11月 5日(土);ズーム研究会
11月 7日(月);資料調査(県内)
11月23日(水);特別オンライン企画展楽日
11月30日(水):原稿校正
◎民権林園
☆収穫:薩摩芋(豊作)、枝豆(豊作)、柚子(豊作)
☆植付:空豆、菜花、玉葱、高菜
☆花々:山茶花(赤)
◎異常気象・災害・感染症
▼ヨーロッパで記録的な干害と農産物凶作
▼新型コロナ第8波到来、感染再拡大(11月上旬)。千葉県では累計100万人突破(千葉県HP)、全国では2,280万人(NHKHP)。千葉県の累計死者数は約2,700人(同上)、全国では約4万7,000人(同上)。
▼新型コロナの感染者が北海道及び東京都で1日10,000人突破、急拡大(11月中旬)。
▼北海道函館市内と釧路市内の総合病院で100名超の大規模クラスター発生(病院HP)。
▼長野県で「医療非常事態宣言(レベル5)」発出(11月14日)。
▼インドネシアのジャワ島で大震災、死者行方不明者多数。
▼人口約600万人の千葉県で、一日に約6,000人の感染者発生(千葉日報オンライン)。10万人に換算すると約100人の感染、人口3万人の地方自治体でも毎日約30人の感染者が発生か(11月下旬)。
◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(11月)
□案内状「喜多方事件140周年記念講演会」喜多方市歴史研究協議会2022年11月20日(日)
□書籍『再起-自由民権・加波山事件志士原利八』コールサック社2022年11月30日
□会報『秩父№211』秩父事件研究顕彰協議会2022年11月※「飯塚森蔵の墓碑」
□オリジナルCD「YOU ARE THE HOPE OF THE WORLD」2022年11月
《自由民権と漢詩》
☆今月も、上掲『明治回天集』に収載された佐久間象山(1811~1864)と吉田松陰(1830~1859)による七言律詩の「次韻(じいん)」(先方の漢詩に対し同韻・同字・同順で和すこと)を鑑賞しましょう。韻は上表四支(疑・湄・誰・詩)です。
☆佐久間象山「獄中冩懐(ごくちゅうおもいをしるす)」(1854年)
不思城下作盟恥
◯◎○●●○●
卻見忠貞抱忌疑
●●○○●●○
伯昳議彊長崎嶴
●●●○●○●
聖東假地下田湄
●○●●●○○
異時軽敵已非策
●○◎●●◎●
今日伐謀知是誰
◯●●○○●○
幽憤満胸無所泄
◯●●○○●●
獄中瀝血冩茲詩
●◎●●●○○
(北澤正誠編『象山先生詩鈔・巻之上』日就社1878年、上條螘司編『明治回天集』1880年、信濃教育會編『増訂象山全集』信濃毎日新聞社1934年)
※訓読は10月の項を参照してください。
☆吉田松陰の次韻(じいん)「江戸獄中作」(七言律詩、平起、上平四支、1854年)
計疎我罪逮我師 平仄の模範例↓
●○●●●●○ ◯◯●●●◯韻
師獨憂時不我疑
◯●◎○○●○ ●●◯◯●●韻
上智未聞間敵国
●●●◎◎●● ●●◯◯◯●●
神龍何怪遠河湄
◯○◎●●○○ ◯◯●●●◯韻
警更柝響頻驚睡
●◎●●◯◯● ◯◯●●◯◯●
隔壁咳聲難忍誰
●●◎○◎●○ ●●◯◯●●韻
人定夜深多感慨
◯●●○○●● ●●◯◯◯●●
強拝愁思和新詩
◎◯◯◎◯○○ ◯◯●●●◯韻
(『幽囚録』和本全2冊土州御蔵板1868年、上條螘司編『明治回天集』和本全2冊1880年、吉田庫三編『幽囚録』全1冊1891年、『吉田松陰全集第1巻』岩波書店1940年)
※平仄記号の◯は平声(ひょうしょう)、●は仄声(そくせい)、◎は平仄両用です(三浦梅園『詩轍』1786年、林古溪編・石川忠久補『平仄字典新版』明治書院2013年参照)。底本は上掲『増訂象山全集』です。
☆訓読
計(けい)疎(そ)にして我が罪我が師(し)に逮(およ)ぶ。
師独(ひと)り時を憂(うれ)えて我(われ)を疑わず。
上智(じょうち)未(いま)だ敵国を間(かん)するを聞かず。
神龍(しんりゅう)何(なん)ぞ河湄(がび)に遠ざかるを怪(あや)しまん。
更(こう)を警(いまし)むるの柝響(たくきょう)頻(しき)りに睡(ねむり)を驚かし、
壁を隔つるの咳聲(がいせい)誰(たれ)と認め難し。
人(ひと)定(しず)まり夜深くして感慨多く、
強(し)いて愁思(しゅうし)を拝して新詩に和す。
(安藤紀一『訓註吉田松陰先生幽囚録』1933年、福本義亮『訓註吉田松陰殉国詩歌集』誠文堂新光社1937年、『吉田松陰全集第1巻』岩波書店1940年参照)
☆注釈と詩意
第1句の「計」は黒船乗艦計画で、「疎」は計画が疎略であったことです。1854年は安政元年ですが、米国のペリー艦隊が再度来航しました。「我」は松陰自身、「師」は連座した象山です。
第2句の「不我疑」は、松陰の荷物の中から象山の送詩(「送吉田義卿」五言古詩)が発見され、教唆の証拠となったにも拘わらず、師の象山が門弟の松陰を全く責めなかったことを意味します。
第3句の「上智」はこの七言律詩のキーワードです。『孫子』第13篇の「用閒(ようかん)」に、「上智を以(も)って間者(かんじゃ)と為(な)して必ず大功を成す、此れ兵の要(かなめ)」と有ります(吉田松陰『孫子評註』、山鹿素行『孫子諺義』参照)。
松陰の第3句は、象山「獄中冩懐」の第6句に連動しています。象山詩の「伐謀」は『孫子』第3篇の「謀攻」に有る語彙です。「謀攻篇」には「彼を知らず己れを知らざれば戦う毎に必ず殆(あや)うし」と記述されています(金谷治訳注『新訂孫子』岩波文庫2000年)。
第4句の「神龍」は象山の比喩でしょう。「河湄」は龍の棲む河の畔(ほとり)です。「遠」は、象山も入牢したことを指します。
第3句と第4句は対句で、「上智」と「神龍」が対応しています。第5句と第6句も対句で「柝響」と「咳聲」が対応しています。対句は松陰よりも象山の方が巧みに表現しているように思います(先月既述)。
第7句の「人定」を、『吉田松陰全集第1巻』は「人定(しず)まり」と訓読しています。伝馬町の牢屋敷で「人定(さだ)まり」では、意味が通じません。的確に訓読することの難しさを感じます。
第8句の「拝」と「和」の二字には、師の象山に対する松陰の敬意と連帯感が滲み出ているような気がします。「愁思」は列強侵略への危機意識でしょう。
同字重出(我・師)と二六対違反(第1句)が有り乱調気味の七言律詩ですが、パッションに溢れ漢詩の醍醐味を堪能させてくれる次韻の傑作です。
☆若い頃に読んだ歴史小説の『世に棲む日日』には、吉田松陰について次のような叙述が有ります。
◇松陰は長崎へゆき、天草へ行った。この犀利(さいり)な観察者は、どこへ行っても山ひとつ村ひとつ見のがさず、まるで外国から潜入した軍事偵察者のような目で、戦略戦術上の地理や人情、風俗をみた(後略)。
(司馬遼太郎『世に棲む日日(一)』文春文庫1975年)
☆『世に棲む日日』には、松陰死後の1860(万延元)年に、高杉晋作が信州松代城下の佐久間象山(閉門中)を尋ねた時の叙述が有ります。
◇深夜、対面している。「そこもとは、寅次郎の弟子か」と、さすが剛愎な象山が、晋作の面ざしに松陰がしのばれたらしく、何度もそう言い、その大きな両眼にキラリと涙を光らせた。夜半から夜明けちかくまで五時間ばかり、象山は晋作のために国事を論じてくれた。「救国の一事は、開国よ」と象山がしばしばいった(後略)。
(同上『世に棲む日日(二)』文春文庫1975年)
☆上條螘司編『明治回天集』には、獄中の高杉晋作が詠んだ漢詩も収録されています(五言絶句3首)。橋本左内や頼三樹三郎等の獄中詩も収録されていて、編者の民権派としての識見を示していると思います(後述予定)。
(この項続く)
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(2022年11月)