民権ブログ集成 《 千 挫 不 撓 》 |
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《2010年10月~12月》
☆『経済学・哲学草稿』(岩波文庫145頁)に記述されている「類行為」について、更に整理を続けます。アリストテレスの「君は君の父と君の母とによって産み出された」というような文言を、青年マルクスはどの著作から引用したのでしょうか?(注釈がないので自分で探さねば)
☆アリストテレスの主著『形而上学(上)(下)』(井出隆訳、岩波文庫1959年)には、二カ所程「子と父と母」についての記述があります。日本語訳ではさっぱり文意がつかめないと思いますので、蔵書の英語版 THE WORKS OF ARISTOTLE, VOLUME Ⅷ, METAPHYSICA,
OXFORD AT THE CLARENDON PRESS, FIRST EDITION 1908 を並記します。参考までに。(新訳は出版されないのかな?)
◎事物のアルケー〔始まり、原理、始動因〕というは・・・たとえば、子供がその父母から生まれ・・・。
(『形而上学(上)』第5巻哲学用語辞典153頁)
◎‘BEGINNING'means ・・・as a child comes from its father and its mother,
THE WORKS OF ARISTOTLE, VOLUME Ⅷ, METAPHYSICA 1012b
◎たとえば、子供がその父と母とから・・・と言われるが、それは、それらの或る部分から生じるからである。
(『形而上学(上)』第5巻哲学用語辞典203頁)
◎e.g. the child comes from its father and mother, because they come from a part of those things.
THE WORKS OF ARISTOTLE, VOLUME Ⅷ, METAPHYSICA 1023b
☆アリストテレスの「類(ゲノス)」概念については下記のような記述があります。
◎ゲノス〔種族、類〕と言われるのは、まず、同じ形相をもつ事物の連続的な生成の存する場合。たとえば、「人間どもの種族の存するかぎりは」というのは、「かれらが相継いで生成しているかぎりは」という意味でそう言われるのである。
(『形而上学(上)』第5巻哲学用語辞典208頁)
◎The term ‘race'or‘genus'is used, if generation of things which have the same form is continuous,
e,g,‘while the race of men lasts' means‘while the generation of them goes on continuously'.
THE WORKS OF ARISTOTLE, VOLUME Ⅷ, METAPHYSICA 1024a
平易な日本語訳が欲しいですね・・・。
☆形相(けいそう)はform という英単語が当てられています。形相(ギリシャ語ではエイドス:例えば樫の成木,石像彫刻)と質料(ギリシャ語ではヒュレー:例えば樫の実,大理石)はアリストテレス哲学の基礎概念です。形相は「事物の完成したカタチ」であると説明できるでしょう。アリストテレスの父はマケドニア国王の侍医でしたから、「類行為」について医学的観点から生々しく記述している部分があります。(『形而上学(上)』第8巻〈質料〉307頁)英文のみ引用します。
◎What is the material(質料の) cause of man?
Shall we say the menstrual fluid?
What is the moving cause(始動因)?
Shall we say the seed?
The formal(形相の) cause?
His essence(本質).
The final cause?
His end(目的).
THE WORKS OF ARISTOTLE, VOLUME Ⅷ, METAPHYSICA 1044a
古代ギリシャのアリストテレスは、人類の「形相(form)」と「目的(end)」は、「一致(same)」すると述べています。
☆ルソー著『社会契約論』の「類的存在」概念を、青年マルクスは「ユダヤ人問題のために」の中で、フランス語原文のまま引用しています。フランス語は達者であったようですね。故郷のトリールは、ルクセンブルク国境とフランス国境に近い都市でした。吉本隆明氏の『定本・言語にとって美とは何かⅠ』(角川ソフィア文庫138頁)にも「人間の類」に言及した記述があります。
☆漸く秋冷の候となりました。次回は『精神現象学』と『法哲学』から、ヘーゲルの「類」概念について整理する予定です。「ボチボチイコカ」です。
◎懸崖は孤猿の降る秋の浜
ケンガイハ コエンノクダル アキノハマ
筆者(40代)の旧句です。小湊山誕生寺の旧道にて。
(2010/10/3)
☆『鬼貫(おにつら)句選・独ごと』(岩波文庫2010年7月)が刊行されましたので、購入して読んで見ました。子供を詠んだ句を一句見つけることができました。(親を詠んだ句もありましたが)
◎大津の子お月様とはいはぬかな
大津は地名です。案内する子供を雇い、三井寺から登るという詞書があります。元禄3(1690)年9月、鬼貫30歳の発句です。
☆芭蕉の全句集は若い頃からの愛読書です。こんなに繰り返し読んだ岩波文庫は他には有りません。かつては200句程暗唱できました。芭蕉の残した約1000句の中から、子供を詠んだ句を(数句あるが)一句だけ拾い上げました。
◎霜を着て風を敷寝の捨て子哉
延宝6(1677)年、芭蕉翁34歳の発句です。(「翁」といっても50歳で他界しました)
☆両句のコンセプト(着想)の違いは何処にあるでしょうか。「捨て子」の句は、俗世間に生きる人々とは隔絶した意識で吟詠していることを実感させられます。漂泊の俳諧宗匠以上の何者かの眼です。(一体何者?)
☆『改訂共同幻想論』(角川ソフィア文庫)の「対幻想論」の章では、ヘーゲルの『精神現象学』(樫山欽四郎訳)が二カ所引用されています。「・・・二つの関係(夫婦・親子)は両者に分け与えられている両側面の移行と、不等のうちに止まっている・・・」(『改訂共同幻想論』181頁)と「一方の意識が他方の意識のうちに、自分を直接認める」(同書183頁)です。後者の引用は出典が明記されていないので、叙述に不備があるのではないかと思いました。
☆私が指摘したいのは、次のようなヘーゲルの叙述を、吉本隆明氏が肯定的に受け継いでしまったのではないかという点です。長谷川宏氏の新訳から引用します。
◎夫と妻、親と子、兄弟と姉妹、という三つの関係のうち、第一にくるのが夫と妻の関係であって、そこでは一方の意識が他方の意識のうちに直接におのれを認識し、相互承認の認識がなりたっている。(長谷川宏訳『精神現象学』Ⅵ精神a共同の世界-人間の掟と神の掟・男と女、作品社1998年307頁)
◎子どもとは夫と妻の関係がそこへと流れていき、そこで消えていくものなのだから。そして、このように世代がつぎつぎと交替していく・・・親と子の一体感という第二の関係も、それだけで完結することはない。(前掲書308頁)
☆夫婦が第一の関係?親子が第二の関係?兄弟姉妹が第三の関係?家族の夫婦関係と親子関係に順位・序列はなく、二つの関係は同時的共存(和解的な、時には非和解的な)と考えます。ヘーゲルは鋭利ですが、近代的一夫一婦制というパラダイム(基底の枠組み)の限界内にあるようです。「対幻想」概念から「類的存在(存続)」概念を平行分離して相対化できると良いのですが。
☆更に、ヘーゲルの「移行」(長谷川訳では《感情的に交流》)と「不等」(長谷川訳では《等しくないありかた》)という捉え方は疑問です。「不等」ではなく「同等」(等時という言葉は無いか?)という照射の方法ではどうでしょうか?ヘーゲルのように家族は夫婦関係に本質があると規定することはできません。家族の本質を前近代的な長子相続の親子関係に求めることができないように。喩えて言うならばツートップ(サッカーの陣形にある)概念として捉えた方が良いと考えます。二つの関係は同位・同格です。
☆太宰治のように「子供よりも親が大事」(『桜桃』)と言うことができますか?
☆ヘーゲルの「類」概念は、「自己同一的な自己関係と純粋な否定の力との統一」(前掲書Ⅴ理性の確信と真理a自然の観察199頁)とか「単一な存在の形をとる一般的な生命」(前掲書201頁)と叙述されています。ヘーゲルはベルリン大学の総長にまで登りつめた哲学者ですから、大器晩成型の学者と考えやすいですが、青年時代から様々の(不等な?)遍歴をしたことが知られています。1831年11月、61歳のときコレラで急死しました。
☆晩秋から初冬にかけての拙句を一句。(筆者20代前半、懐メロです)
◎中京や時雨れる夜半の橋の宿
ナカギョウヤ シグレルヨワノ ハシノヤド
芭蕉翁に破門された、凡兆(ぼんちょう)のパロディー句(略してパロ句)です。本句は下記の通り。
◎下京や雪つむ上の夜の雨 (『猿蓑』元禄4年刊)
シモギョウヤ ユキツムウエノ ヨルノアメ
元禄時代、下京区は町人や職人の住む庶民街でした。
(2010/10/10)
☆ヘーゲルの『精神現象学』で、前回触れることができなかった箇所を検討します。
◎女性が娘として両親を見るとき、両親は自然の運動にうながされ、共同体のおだやかな承認のもとに消えていくものに見える。親子関係を踏み台にして娘は自立した存在になるのだから。両親との対等な関係のうちに娘が自分の自立を感じとることはない。(長谷川宏訳『精神現象学』Ⅵ精神a共同の世界-人間の掟と神の掟・男と女、作品社1998年308頁~309頁))
☆対等な関係の紐帯(ちゅうたい)と自立はあるというのが筆者の(ヘーゲル批判の)見解です。母・娘関係は身の回りに無数に存在します。母と娘の親子関係(娘の自立)について、『共同幻想論』の「対幻想論」の章ではほとんど論じられていません。(「母制論」の章でイザイホウの分析はあるが「自立論」ではない)母・娘関係に無反応であったと言ってもいいでしょう。吉本氏は近代日本文学の主要な論点ではないと判断したようです。同章で論じられているのは森鴎外(『半日』)と夏目漱石(『道草』)の夫婦関係です。
☆『遠野物語』の中から母・娘関係が語られている(と思われる)民間伝承を一つ引用します。「番号55」の伝承です。(MATUIの背番号と同じ)
◎・・・二代まで続けて河童の子を孕みたる者あり。生まれし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形きはめて醜怪なるものなりき。(中略)
◎深夜にその娘の笑ふ声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなはず、人々いかにともすべきやうなかりき。(中略)
◎その子は手に水掻きあり。この娘の母もまたかつて河童の子を産みしことありといふ。・・・この家も如法の豪家にて何の某といふ士族なり。(後略)
(『新版・遠野物語』角川ソフィア文庫2004年37頁~38頁)
☆「如法(にょほう)」について、集英社文庫版『遠野物語』には「仏の教えを守って温厚篤実なさま」という一般的な注釈があります。本当は恐ろしい『遠野物語』です。(恐ろしいのは初版『グリム童話集』だけではない)マビキ、キツネツキ、ヨバイ、キケイ、フウヒョウ、キョウドウタイキセイ・・・。これが100年前、明治の日本民衆のデンショウです。この年、柳田国男はまだ35歳でした。(角川文庫と集英社文庫の年譜参照)
☆今夏の遠野旅行の際、バスガイドさんはカッパ淵まで案内してくれましたが、「番号55」の伝承にはまったく触れませんでした。「番号58」の馬と河童の力較べの話が中心でした。(不思議?)明治43(1910)年の初版本では、上掲の「何の某」は「○○○○○」と伏字で表記されていました。この伝承は、吉本氏の『共同幻想論』でも、引用されずに終わっています。
☆柳田国男は『芭蕉七部集』を愛読していました。(と記憶しています)近代日本民俗学と近世連句の交錯を感じ取っていたのでしょう。母と娘の親子関係について、『芭蕉七部集』から、芭蕉本人の付句を二つ取り上げます。(「恋句」とは異なる視点で)
◎娘を堅う人にあはせぬ 芭蕉(『炭俵』「梅が香の巻」)
ムスメヲカトウ ヒトニアワセヌ
『露伴評釈・芭蕉七部集』(中央公論社1956年)によると、「娘を」の付句は、(前句に詠まれている)菊作りと同じように子(娘)育ても堅実に行い、めったな人には会わせないと解釈しています。
☆幸田露伴の評釈本も、古書店の店頭で二束三文で購入しました。(掘出物でした)
◎定らぬ娘のこころ取りしずめ 芭蕉(『続猿蓑』「霜の松露の巻」)
サダマラヌ ムスメノココロ トリシズメ
「定まらぬ」の付句は、乱心した娘の気持を鎮めて(前句に詠まれている)庭の鶏頭を眺めさせるという解釈です。前回引用した、延宝6(1677)年の「捨て子」の発句とは随分異なる子供観です。
☆「木枯の巻」(『冬の日』所載・1684年)、「梅が香の巻」(『炭俵』所載・1694年)、「霜の松露の巻」(『続猿蓑』所載・1698年)は、『芭蕉七部集』連句のベスト・スリーです。(筆者誤?推奨) 家族全員で風邪をひいてしまい、かわるがわる病院通いをしています。インフルエンザではありませんが、不調です。
(2010/10/17)
☆『共同幻想論』(特に「対幻想」)について、現時点で整理(相対化)しておくべきことの Key Point は書き終わったような気がします。『遠野物語』と『初版・グリム童話集』(白水社)の恐さ較べは、興味深いテーマです。ヘーゲルについても、まだ『精神哲学』(岩波文庫)を検討していません。振出しに戻って「主基田(すきでん)」、「悠紀田(ゆきでん)」について、もう少し論点を整理しておきます。ボチボチ書き続けます。
☆『古事記』は712年成立(平城遷都2年後)ですから、2012年に1300周年を迎えることになります。100周年の『遠野物語』を長さ1㍍と考えれば、『古事記』は13㍍ということになります。13倍(130倍、1300倍ではない)の昔ということになりますが、怯むことはないように思います。
☆「常民」(ミンカンデンショウ)概念は、「権力」(文書編纂)正史に拮抗するというのが、柳田民俗学のスタンスであったと理解しています。「権力」、「底点」、「類的存続」、この三つが筆者の Key 概念です。叙述は、ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』のように断章(短命題)風に。(バラバラで、わからへん?)
☆『共同幻想論』は「祭儀論」の章の途中で、分析対象が『遠野物語』から『古事記』神話に転換します。民間伝承と神話は同格に扱われています。
◎だが穀物の生成については、わたしたちは北方民譚である『遠野物語』を捨てなければならない。
(『改訂共同幻想論』角川ソフィア文庫1982年「祭儀論」144頁)
◎悠紀、主基殿の内部には寝具がしかれており・・・なにものかの〈死〉と、なにものかの〈生誕〉を象徴するものといえる。
(前掲書「祭儀論」150頁)
明晰ですね。二十歳の頃に引き戻されそうです。しかし〈生誕〉の連続への推論が途切れていると言わざるを得ません。
☆『共同幻想論』はイザナキとイザナミの神話を二箇所引用しています。出典の明記がないので、詩人の吉本隆明氏自らの現代語訳であったのかもしれません。今回の読書で、再認識させられました。「祭儀論」の章では『古事記』の「黄泉の国」神話が検討され、「対幻想論」の章では「二神の結婚」(よく子供向け絵本になっている)神話が検討されています。
☆筆者の「類的存在(存続)」概念からは、吉本氏が引用しなかった部分(「黄泉の国」後段)が大変重要であるように思われます。イザナキは、死後の世界へイザナミを訪ねて行きました。かつて愛し合ったイザナミ(元カノ?)とイザナキ(元カレ?)が交わしたヨミノクニ(ヨモツクニ)入口付近における会話(夫婦喧嘩? or 別れ話?)です。
◎「いとおしい我が夫よ、あなたがこんなことをなさいますならば、あなたのクニの人間を、一日に千人、首を絞め殺しましょう」。
◎「いとしい妻よ、おまえがそうするなら、自分は一日に千五百の産屋を建てよう」。
(『新版古事記』角川文庫265頁)
☆私には、両名の問答がけっして呪詛では無く、優れた(求愛の)相聞歌のように聞こえます。それとも運命に抗しえない個への挽歌なのか?1日に1000人は他界しますが、1500人は誕生します。日毎に、500人の人口増(類的存続)です。
☆国学者であった本居宣長の大著『古事記伝』は、この人口増について、儒学の「天命」説を否定し、イザナキの「御恩頼(ミタマノフユ)」に因ると記述しています。(『古事記伝(二)』岩波文庫1941年32頁) 「ミタマ」は「御霊」か「御魂」で、 「フユ」は「殖ゆ」か「振ゆ」であるようですが、筆者は「類的存在(存続)」概念で解釈します。「対幻想」と「共同幻想」の「同致」で相対化できるのでしょうか?
☆では次回。季節の変わり目です。風邪には気を付けて下さい。快癒するのに、筆者は2週間程かかりました。
(2010/10/24)
☆日本史上において、子供を詠んだ歌人の双璧は、『万葉集』の山上憶良と江戸時代の良寛です。今回は、良寛の残した約1400首の短歌から次の一首を鑑賞します。
◎霞たつながき春日を子供らと手毬つきつつこの日くらしつ
カスミタツ ナガキハルヒヲ コドモラト テマリツキツツ コノヒクラシツ
(『良寛全集・下巻』東京創元社7頁)
村の子供達と遊ぶ曹洞宗の禅僧の姿が思い浮かぶ名歌です。
☆夏目漱石は上掲の短歌について、パロディー句(略してパロ句)を句作しています。
◎良寛にまりを(手毬)つかせん日永哉 漱石 *( )内は異稿。
リョウカンニ マリヲ(テマリ)ツカセン ヒナガカナ
(『漱石俳句集』岩波文庫189頁)
「日永(ひなが)」は春の季語です。1914(大正3)年の発句ですが、どの様な心情で詠んでいるのか筆者には不明です。47歳であった漱石は、子供と遊ぶ禅僧の境地に憧れたのかもしれません。
☆良寛には、約100句の俳句が残されています。子供を詠んだ句を一句引用します。
◎さわぐ子のとる智慧はなしはつほたる 良寛
サワグコノ トルチエワナシ ハツホタル
(『良寛全集・下巻』東京創元社315頁)
「ほたる」は夏の季語です。宵に蛍を追いかける子供達の姿が眼に浮かびます。
☆良寛にも明らかにパロディー句(略してパロ句)と思われる俳句があります。
◎新いけやかはづとびこむ音もなし 良寛
アラ(ニイ)イケヤ カワヅトビコム オトモナシ
(『良寛全集・下巻』東京創元社314頁)
「かわづ」は春の季語です。上掲の句は、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水のをと」(『春の日』1686年)のパロディー句(略してパロ句)であることは間違いないでしょう。(本当に良寛の句?)
☆筆者にも「古池や」のパロ句があります。しかし、意図的にパロディー化した訳ではなく、無意識に韻律を模倣してしまったようです。
◇梅雨寒や青梅落ちる風の音 凡一
ツユザムヤ アオウメオチル カゼノオト
「梅雨寒」と「青梅」が季重なりです。強風の日、自宅裏の梅園を窓から眺めて詠んだ拙句です。闘病中の40代でした。(高血圧で倒れ救急車で搬送された)
☆良寛禅師には、西行(1118~1190)の名歌である「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃」(『新古今和歌集』)のパロディー句(略してパロ句)と思われる俳句もあります。(パロ歌かな?)
◎同じくは花の下にてひと夜寝む 良寛
オナジクワ ハナノモトニテ ヒトヨネム (ソノキサラギノ モチヅキノコロ?)
(『良寛全集・下巻』東京創元社314頁)
☆良寛老師は、破礼(バレ)句のような俳句も残しています。(前掲書316頁の「柿もぎ」の句を参照) このような系列の俳句は、小林一茶の方が独壇場でしたね。越後の良寛(1756~1831)と信濃の一茶(1763~1827)は同時代でした。
◎木がらしに女だてらの股火かな 一茶
(田辺聖子『ひねくれ一茶』講談社文庫37頁)
田辺聖子氏の『ひねくれ一茶』は力作でした。「木がらし」は冬の季語です。
☆俳聖の松尾芭蕉は、破礼(バレ)句のような発句は全く残しませんでした。さすがは蕉(正)風俳諧です。現存する約1000句の発句の中で、強いて取り上げるならば『おくのほそ道』の次の一句です。
◎一つ家に遊女もねたり萩と月 芭蕉
ヒトツヤニ ユウジョモネタリ ハギトツキ
(『英文収録・おくのほそ道』講談社学術文庫63頁)
「萩」と「月」が季重なりです。芭蕉にも例外の句はあります。1689(元禄2)年の7月のことでした。
☆ドナルド・キーン氏は上掲の句を次のように英訳しています。
Under the same proof
Prostitutes were sleeping
The moon and clover.
(『英文収録・