2015年前期
◎1月の行事案内
・1月 2日(金):埼玉県立「歴史と民俗の博物館」で企画展「埼玉の自由民権」→2月15日まで(月曜休館)
・1月 3日(土):仕事始め
・1月11日(土):秀峯忌(板倉中の妻命日)
・1月20日(火):出張(資料調査)
・1月23日(金):枯川忌(堺利彦命日)
☆明けましてお目出とうございます。本年は戦後70年です。宜しく御指導、御鞭撻を御願い申し上げます。
☆1月に他界した房総の女性民権家に、板倉比左がいます。1月11日は秀峯忌(シュウホウキ)です。「秀峯」は比左の院号です。
☆板倉比左は1865(慶応元)年11月16日に誕生し、1941(昭和16)年1月11日に病没しました(墓誌)。満75歳でした。
☆堺枯川(サカイ・コセン,1871-1933)については、自伝の『堺利彦伝』(中公文庫1978年)があります。「私は当時、漠然ながら自由民権主義の追随者であった。」(同書84P)と記述しています。
☆「蛍一つ闇に呑まれて消えにける」(同書136P)は、堺枯川の初恋(失恋)の句のようです。
☆堺利彦は、『改造』(1928年10月号)に先駆的な論考「秩父騒動」を発表しています。「秩父騒動」は、井出孫六編著『自由自治元年-秩父事件資料・論文と解説』(現代史出版会1975年)に収録されました。
☆1946(昭21)年の『中央公論3月号』に、山川均(菊栄の夫)が飄逸な人物論「堺さんの想い出」を執筆しています。
◎堺さんのお墓は鶴見(横浜市)の総持寺にあった。生きているうちの堺さんは生涯借家住居をしていたが、総持寺での堺さんは一坪ばかりの墓地の地主になりすまし、借りものでない自分のお墓に住まっていた。
(前掲誌70P)
☆山川均は、占領下の民主主義を「堺さんに恥ずかしい気もちもする」と虚心坦懐に述べています。
☆1月20日(火)に、埼玉県立「歴史と民俗の博物館」へ、企画展「埼玉の自由民権」見学に出かけました(館長・副館長)。鴨川市からJR千葉駅までは直行バス、千葉駅から船橋駅まではJR、船橋駅から大宮公園駅までは東武鉄道に乗車しました。片道4時間程でした。
☆博物館の企画展示室には、房総出身の桜井静が送付した「地方連合会創立主意書」(小室家文書)が展示されていました。桜井提案が埼玉県内にも波及していたことを、初めて知ることが出来ました。
☆小室家文書の展示によって、関東では全府県(神奈川・埼玉・栃木・群馬・茨城・東京・地元千葉)で、桜井提案(県議層路線)の波及と反響が検証されたと言えるでしょう。学芸員の皆様の御努力に改めて敬意を表します。
☆次回収蔵品企画展“焼跡の雑誌論文・コラム”の書誌データを書き続けます。
◎書誌項目
①論文・コラム執筆者
②執筆者標目
③雑誌社
④発行年月日
⑤大きさ・容量
⑥値段
⑦本文抜粋
☆コメント
※選書は1人1誌を原則。引用文は新仮名、新字体。( )と句読点は当館。
◆「デューイ社会哲学批判の覚書(1)」(『思想の科学』1946年創刊号)
①鶴見和子(ツルミ・カズコ)
②1918-2006
③先駆社
④1946年5月15日
⑤35P・21㎝
⑥2円
⑦日本の経済社会政治面の民主化は、封建制残滓を払拭するとともに、独占資本主義の矛盾よりの解放という二重性を持つと同様に、思想上の改革も又二重性を持つ。(33P)
☆鶴見和子は、哲学者の鶴見俊輔氏の実姉である。実父は鶴見祐輔(戦後公職追放→鳩山一郎内閣厚相)であった。
☆和子は、「社会の現状分析にもとづく歴史動向の見通しから眼を逸らせ、現実の対立を調和となし、不均衡を均衡と呼び、大衆の民主化への闘争を妥協で云いくるめるような、反動哲学とも対峠(峙)しなければならない。」(同誌33P)と指摘した。
☆和子は敗戦翌年の変革課題を、重層的な4類型(①残滓払拭、②矛盾解放、③亡霊克服、④反動対峙)に整理して提示した。