2026年

《掲示板》

◎1月の行事
1月 2日(金):民権林園鍬入れ 
1月 5日(月):資料館仕事始め
1月11日(日):秀峰忌

◎みんけん林園
♣野菜:空豆(土寄せ)、玉葱(土寄せ)

果樹:富有柿(落葉)、甘夏(収穫)、柚子()、柘榴(落葉)、栗()、枇杷(緑葉)、金柑(収穫)、パール柑(緑葉)。

♠樹木:楠(緑葉)、樫(常緑)、榎(緑葉)、橡(落葉)、楓(落葉)、檜(常緑)、椿(常緑)、山茶花(開花)、檜葉=アスナロ(常緑)、岩躑躅(落葉)、高野槙(緑葉)、南天(常緑)、百日紅(落葉)、辛夷(落葉)、金木犀(落花)、榊(常緑)、朴木(緑葉)、柏(落葉)、山桜(落葉)、山茱萸(落葉)、チャノキ(緑葉)、モチノキ(常緑)、シュロ(常緑)、ソテツ(常緑)。


竹林(孟宗竹)

◎異常気象・災害・感染症
▼山梨県と群馬県で広域山林火災発生。
▼米国ニューヨーク州で大寒波、広域停電(約100万戸)発生。

◎みんけん館寄贈寄託資料・連絡通信コーナー
□仏具「桜井(吉川)静ゆかりの人物御位牌」(関係者御子孫から寄贈)
□句集『海嘯かいしょう』(ふらんす堂2025年11月27日)
□チラシ「高知近代史研究会第125回研究会(木村久寿弥太日記を読む)」(高知近代史研究会・高知市立自由民権記念館2026年1月24日)




みんけん詩話 ‐戊辰戦争と漢詩集‐
明けましておめでとうございます。恒例となりましたが、1月は友人、知人、リピーターの皆様からの年賀状を差支えのない範囲で御紹介させて頂きます。

元出版社編集部の知人から初句集『海嘯(かいしょう)』を寄贈して頂きました。数句御紹介して御礼に代えさせて頂きます。
歩まねば泉は遠し白き牛
邯鄲(かんたん)や村に一人の漢学者
国(くに)和(な)ぐを願いしわが名終戦日
母ありし頃のゆふぐれ枇杷の花
たてがみのあらば春野を疾駆せむ
でで虫や急ぐ勿(なか)れと楸邨(しゅうそん)忌

2026年賀アンソロジー(順不同)
本年もよろしく。昨年3月に再手術を受け、難病では痛みを緩和する治療を受け、それぞれ通院しながら自宅療養を続けています。(千葉県内)

「農民は愚でも百年の計を思う、知識ある官吏は一日の計のみ」、今年の田中正造カレンダーです。(千葉県外)

今春はなんと金婚式を迎えることになり、これまでの50年とこれからの高齢夫婦の生き方に思いをいたす覚悟です。(千葉県外)

おめでとうございます。頑張ってください、応援しています。(千葉県内)

大変な世の中になってしまいました。なんとかコツコツとやっていこうと思います。(千葉県内)

ご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。6年かけて東海道自然歩道を東の高尾山から西の大阪まで歩き終えることができました。大変楽しかった。(千葉県外)

昨年は排外的な雰囲気と核をめぐる不穏な気配のなかで暮れました。どうかご健康のほど、祈りあげます。(千葉県外)

世界平和への道標はどこに有るのでしょうか。足元を見つめて生きて行きたいと思います。(千葉県内)

特異な食糧自給率37%という滅亡国。私たちの胃袋が遺伝子組み換えや添加物入りの危険な食糧に支配されている。危機を自覚し「市民皆農」の実践を都市に住む市民(消費者)が始める。(千葉県内)

風景が変わった。風景が変わったと思ったのは私だけだろうか。昨年の参院選は与党が衆参ともに過半数を割り、与野党伯仲を招いた。(千葉県外)

カントの「真の道徳」とは、誰に対しても、「人を決して手段と見なさず、常に目的として尊重する」です。なるほどみんながそうなら戦争は起きません。(千葉県内)

「ふりむくな、ふりむくな、うしろには夢がない」、「人は誰しも世界中の生きとし生けるものとつながっている」。(千葉県内)

論集が上毛芸術文化賞を受賞しました。秩父事件も愈々面白くなってきました。(千葉県外)

年金生活者になり、ゆっくり、ぼんやり、参ります。(千葉県内)

HPブログを拝読しております。幸徳秋水と山田喜之助の接点を発見しました。(千葉県外)

房総の歴史研究の推進や普及に尽力するとともに、歴史の魅力、大切さを伝える活動を続けていく所存です。(千葉県内)

自由民権運動の評価が様々に変わり、歴史教育でも新しい実践が中々出現しない状況にあります。(千葉県内)

昨秋、「自由民権大学」が地方史研究協議会から思いもかけず表彰されました。(千葉県外)

2年前の能登半島地震で家屋倒壊、道路寸断、電気水道停止。復旧は阪神、東北に比べて遅い。生存権が脅かされている状況を放置してはならない。(千葉県内)

『南洲翁遺訓』から
漢學(かんがく)を成(な)せる者は、彌(いよいよ)、漢籍に就(つい)て道(みち)を學ぶべし。道は天地自然の物、東西の別なし、苟(いやしく)も當時萬國(ばんこく)對峙(たいじ)の形勢を知らんと欲(ほっ)せば、春秋左氏傳(しゅんじゅうさしでん)を熟読し、助(たす)くるに孫子(そんし)を以(もっ)てすべし。當時の形勢と畧(ほ)ぼ大差なかるべし。
※「追加」の二、原文はカタカナ、句読点は引用者。「當時」は往時ではなく、当世(現在)の意味。国際関係を正確に把握するためには現在でも『春秋左氏伝』の熟読が必要としている。
※引用に当たっては、三矢藤太郎編『南洲翁遺訓』1890年、『新版 南洲翁遺訓』角川ソフィア文庫2017年を参照。

(以下続く)



掲示板》

◎2月の行事
2月14日(土):服部耕雨忌(千葉県旭市の民権派俳人) 
2月16日(月):確定申告申請開始

◎みんけん林園
♣野菜:空豆(開花)、玉葱(土寄せ)

果樹:富有柿(落葉)、甘夏(収穫)、柚子(緑葉)、柘榴(落葉)、栗(緑葉)、枇杷(緑葉)、金柑(収穫)、パール柑(緑葉)。

♠樹木:楠(緑葉)、樫(常緑)、榎(緑葉)、橡(落葉)、楓(落葉)、檜(常緑)、椿(常緑)、山茶花(開花)、檜葉=アスナロ(常緑)、岩躑躅(落葉)、高野槙(緑葉)、南天(常緑)、百日紅(落葉)、辛夷(落葉)、金木犀(落花)、榊(常緑)、朴木(緑葉)、柏(落葉)、山桜(落葉)、山茱萸(落葉)、チャノキ(緑葉)、モチノキ(常緑)、シュロ(常緑)、ソテツ(常緑)。


竹林(孟宗竹)

◎異常気象・災害・感染症
▼イギリスで40日連続の降雨、ロンドンで洪水被害。
▼米国北東部で大寒波、マサチューセッツ州で60万戸の大規模停電、ニューヨーク市で非常事態宣言。各地で空港閉鎖。

◎みんけん館寄贈寄託資料・連絡通信コーナー
□仏具「桜井(吉川)静ゆかりの人物御位牌」(関係者御子孫から寄贈)
□句集『海嘯かいしょう』(ふらんす堂2025年11月27日)



みんけん詩話 ‐戊辰戦争と漢詩集‐
昨年の11月と12月は重野安繹(しげの・やすつぐ)作「送西郷氏督兵赴北越」三首の中の二首を鑑賞しました。今月は解釈の難しい第一首「風霜秋冷」を鑑賞しましょう。この漢詩には会津若松城(鶴ヶ城)が詠み込まれています。

平仄(ひょうそく)
「送西郷氏督兵赴北越」第一首(1868年8月作)
風霜秋冷稺松城
○○○●●○韻
鐵騎到時旗幟明
●◎●○○●韻
不啻兵機貴神速
◎●○○●○●
莫教裘帽念西征
●◎○●●○韻
(太田真琴編『近世詩史、上巻』1876年初出)

※記号の○は平声、●は仄声、◎は両用。平起の七言絶句、疊韻(じょういん)なので、第一首、第二首、第三首の韻は全て下平八庚(城・明・征)である。上杉謙信の七言絶句「九月十三夜」を原詩とした次韻であると云う。二四不同、二六対、下三連不可という平仄の原則が厳守されているが、転句の「神」だけは二六対の原則に反し、「挟(はさ)み平(ひょう)●○●」となっている。この変則は許容されていて不規則では無い。

訓読
西郷(さいごう)氏(し)の兵(へい)を督(とく)して北越(ほくえつ)に赴(おもむ)くを送(おく)る」第(だい)一首(いっしゅ)
風霜(ふうそう)秋(あき)冷(ひ)ややかなり稚松城(わかまつじょう)
鉄騎(てっき)到(いた)る時(とき)旗幟(きし)明(あ)きらかなり
啻(ただ)兵機(へいき)は神速(しんそく)を貴(たっと)ぶのみならず
裘帽(きゅうぼう)をして西征(せいせい)を念(おも)わしむること莫(なか)れ
(三好凌石編『皇朝名吟集』三省堂1937年参照)

※起句の「風霜秋冷」については、綱淵謙錠『戊辰落日(下)』の「秋霜」の章に、「土佐藩板垣退助、薩摩藩伊地知正治に統率された新政府軍の進撃ぶりは、会津藩側の予想をはるかに上廻っていた。(中略)八月下旬とはいえ、陽暦十月上旬の会津の天地には、連日秋の氷雨(ひさめ)が降りつづいていた。」(文春文庫1984年)と叙述されている。「稺松城」はこれまで会津若松城であると解釈されてきた(上掲『皇朝名吟集』)。
 承句の「鉄騎」は武装した薩摩軍(北越征討軍)兵士である。西郷隆盛の率いた官軍(援軍)は北越の新潟地域に上陸し、その後会津まで侵攻したかどうか。重野安繹自身は援軍の会津侵攻を予想したのだろう。
 承句の「旗幟(きし)明きらかなり」については、重野自身の注が付記されている(上掲『近世詩史』)。唐の「肅宗(しゅくそう)」の「乾元(けんげん)二年」に、「旗幟(きし)精明(せいめい)皆(みな)変(へん)ず」等の記述が有ると云う(『新唐書』、『十八史略』参照)。
 第7代皇帝の粛宗(711~762)は玄宗(げんそう)の第3子で、安史(あんし)の乱の渦中にあった。当時反乱軍の史思明(し・しめい)を平定した厳格な将軍の李光弼(り・こうひつ)は、杜甫が「八哀詩」の第二首で功績を賞讃している(『杜甫全詩訳注三』講談社学術文庫2016年参照)。
 転句の「兵機」は計略の巧拙であり、兵法の極意を意味する。『呉子』の「図国(とこく)」篇に「呉起(ごき)、儒服(じゅふく)し兵機(へいき)を以(も)って魏(ぎ)の文侯(ぶんこう)に見(まみ)ゆ」と記述されており、「兵機」という語彙の初出である。重野は後年「西郷南洲逸話」(『名家談叢』1896年~1897年)で、西郷と兵法家の呉起を重ね合わせている(次回BLOGで詳述)。
 結句の「裘帽」は厳冬期に着用する兵士の皮衣と帽子で、宋(そう)の名君であった趙匡胤(ちょうきょういん)の戦歴を踏まえたものと考える(上掲『皇朝名吟集』参照)。重野直筆の「書幅」には、宋祖(そうそ)の趙匡胤(927~976年)が蜀(しょく)を征伐した時の故事を用いたと付記されている(『企画展図録』二松学舎大学付属図書館2016年発行)。
 『宋元通鑑』(1860年)には、趙匡胤の「裘帽」に関する故事が記述されている。同書の「太祖二、乾徳三年春正月」に、「貂(てん)の裘帽(きゅうぼう)を以(も)って視(み)る」、「西征(せいせい)の将士(しょうし)を念(おも)う」と記述される(原文は漢文)。重野の結句は「裘帽」だけでなく、「念西征」も『宋元通鑑』からの転用と言えるだろう。

現代語訳
風が霜を吹き飛ばすような秋冷(しゅうれい)の頃の若松城。
到着する官軍の騎馬隊(きばたい)は号令が行き届いて戦意が大変はっきりしている。
兵法の要(かなめ)は迅速(じんそく)だけでは無い。
援軍が命がけで戦って勝利し、主君に心労をかけることなく無事に帰還してもらいたい。
(重野安繹書幅「西郷南洲督兵北征贈別三首之一」参照)